全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-57 ゆかた(その2)
ゆかたの柄と言えば、昔は紺地に白や、白地に紺の柄が主流だった。柄は単純な柄の繰り返しだけれども着物より大きく、涼しさを感じさせるものだった。白地のゆかたに真っ赤な帯は若い人の浴衣姿の典型だった。色物のゆかたもあったけれども、着物の柄とは違った色付けだった。
ゆかたはあくまでも簡易着なので、着物の様にお太鼓はせず半巾帯を締めた。半巾帯にもちろん帯締めはしない、というよりも必要ない。中に下着は付けても襦袢は着ないので半襟は出さない。もちろん伊達襟はしない、足袋も履かない。伊達襟は重ね衿と言って暖かさを演出する物である。涼しげに着るべきゆかたに伊達襟はどうもしっくりこない。
元々ゆかたに伊達襟や帯締めはしなかったが、何時の頃からか私の店にも
「ゆかたの帯締めはありますか」
「ゆかたの伊達襟を見せてください」
そう言って店に入って来るお客様が見られるようになった。
私の店ではゆかた用の帯締め(と称する)は置いていない。普通の帯締めをお目に掛けるけれども、やはり重すぎてしっくりこない。そうこうするうちに、帯締屋さんが来て
「これはゆかたにも締められる帯締めです」
と言う商品を持ってきた。ゆかたに帯締めというのが定着してきたのかも知れない。そう思ってどちらにでも締められそうな帯締めを数本仕入れた。
伊達襟は、さすがにゆかたには勧められない。ゆかたに伊達襟は、例えて見れば、半袖Tシャツに毛皮の襟巻をするようなものである。
ゆかたの帯締め、伊達襟は誰かが仕掛けたものだろう。きものの雑誌を見るとゆかたに帯締め伊達襟の姿が堂々と掲載されている。ゆかたを着たことのない人がそれを見れば「ゆかたとはこんなもの」と思うだろう。そして今日の様なゆかた姿ができたのだろう。
ゆかた姿の若い女性の半数位は、下駄以外の履物を履いている。足袋を履いて草履姿の人もいるが、靴、サンダル等様々である。ゆかたに下駄と言うのは我々古い人間から見れば定番の組み合わせなのだが、若い人達にはその感覚はないらしい。誰かが仕掛けたのか、あるいは下駄は履きなれない、歩き難いからなのかは分からない。着ている本人達には何の違和感もないのだろう。
ゆかたの着方が昔とは変わってきているのは認めざるを得ない。実際にそう言った着方をしている人達が多くいるのだから。それらのゆかた姿を見て、「乱れている」と思うのは一部の古い人間だけかもしれない。
そうだとすると、ゆかたは「乱れている」のではなく「進化している」と考えざるを得ない。帯締めにしろ、伊達襟にしろ、ゆかたは「重く」なってきている。簡易着としてのゆかたを逸脱して「きもの」に近づいているように思える。
普段にきものを着る機会はほとんどなくなっている。ゆかたとてきもの。ゆかたは自分でくつろぎの為に着るのではなく、人に見せる為のきものになってきているのではないだろうか。