明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題

Ⅶ-60 結婚式・・・黒留袖

ゆうきくんの言いたい放題

 最近、黒留袖の動きが鈍い。動きが鈍いのは呉服全般に言える事だけれども、とりわけ黒留袖が動かない。

 またまたコロナの話になるけれども、前項で紹介した京友禅産地の生産統計を見ると、昨年(令和元年12月~令和2年11月)の黒留袖の生産数量は、たったの992枚である。内訳は、型染が689枚、手描が291枚である。そして前年比は、なんと71.6%の減少である。

 留袖需要の減少は、コロナ禍のせいばかりではない。既に10年以上前からその兆候があった。

 留袖の一番の需要と言えば結婚式である。新郎新婦の母親と雌仲人さんは必ず留袖を着た。そして既婚の親族もまた留袖を着たものである。随分前の話であるが、私の結婚式でも、母親、叔母二人そして姉二人が留袖を着ていた。もちろん仲人もである。

 しかし、今は我々の頃と違って結婚式そのものが変わってきている。昔の様な大掛かりな結婚式は少なくなり、招待者の人数も減っている。そして、仲人を立てない場合もある。また、披露宴も簡素と言うよりも合理的になり、レストランで行ったり、中には居酒屋で行っている人もいる。結婚式、披露宴を行わない人もいる。

 結局、留袖の出番が少なくなっているのである。

 人口が減っているのも響いている。昔は、嫁入り道具に黒留袖は必須だった。嫁入りする証しとして紋の付いた袖を留めた着物を嫁入り道具として用意した。しかし、道具としてだけではなく黒留袖は、実際に必要な着物だった。

 今は少子化で兄弟が少ない。三人兄弟と言えば多い方である。しかし、昔は五人六人は珍しくなかった。嫁に行けば、若い内に兄弟姉妹の結婚式がある。嫁ぎ先と実家を含めれば複数回、場合によっては留袖を着る機会は相当数あっただろう。

 30年位前には、娘が嫁入りの時に仕立て留袖が派手になったので、母親の留袖を仕立て替えする。そして母親が新調する、といった需要もあった。しかし、今日少子化で兄弟姉妹が少なく、嫁に行ってから兄弟の結婚式が無い。あっても着物は必要ないと言ったように留袖を着る機会が激減している。果たして留袖は、このまま消滅の一途を辿るのだろうか。

 私の店は山形市の中心部にある。山形市内を400年間流れている御殿堰(用水)を開発した「水の町屋七日町御殿堰」の中に有る。堰と古い蔵と老舗がそろう風情ある空間の中に有る。そして、通りの向かいは結婚式場である。

 結婚式場は5年前に建てられた洋風の建物で、今の時代に合わせて披露宴会場は100人まで、結婚式は、宗教臭さの無いシビルウェディングである。コロナ禍の前までは、毎週の週末は多い時で一日三組の結婚式で賑やかだった。

 結婚式が終わり、披露宴が始まる前にはセレモニーが行われる。通りに面した階段を新郎新婦がおりて来る。それを親族友人が花吹雪と拍手で迎えるのである。通りを歩く人もつい見採れて拍手をして新郎新婦を祝福する。迎える親族友人のほとんどは洋装だが、いつも必ず留袖姿の人がいる。

                                            つづく

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