明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題

Ⅶ-67 和の終焉(6)

ゆうきくんの言いたい放題

 きものの着難さは、お端折と帯結びに有ると言っても良いかもしれない。慣れればそれほどでもなく私の母や女房は10分~20分で着てしまうのだけれども、初心者ともなれば、これが大変難しい、と言うよりも面倒である。

 お端折が必要ないようにきものを上下二枚に分けて別々に着用する。下は腰巻の様に下半身に巻いて紐で留める。帯は締めずに上着は紐で留める。

 帯を締めないこと自体、これを着物と呼ぶのには抵抗があるのだが、これが「二部式のきもの」として世に出されたものである。その発想の源には、洋服のスーツがあるのではないだろうか。

 洋服のスーツは日本の女性には完全に定着している。そのスーツ同じようにきものが着られたら、と考えたのかもしれない。しかし、きものは「形が同じ」と言う原則がある。夏物だろうと冬ものだろうと、また男物であろうと女物であろうと基本的なきものの形は同じである。「二部式のきもの」は、洋が和に与えた影響が垣間見えるように思えるが、その産物はきものの範疇を逸脱しているように思える。しかし、その「二部式のきもの」は、現在ほとんど見る事がない。

 きものの形を変える挑戦は、洋の影響を受けて様々な試みがなされている。

 ミニスカートの様な丈のゆかたが発売されたこともあった。帯ではなく巨大なベルトを帯代わりに締める試みも為されたことがあった。その他、洋の影響を受けた色々な試みが為されたが、これらは昭和末期、50年代以降である。

 昭和50年と言えば、きものの需要が急激に減少した時期と軌を一にする。きものの需要の減少が、市場での需要を喚起する新商品の開発に繋がり、洋の影響を受けたきものが出回る原因になったと考える。

 しかし、洋の影響を受けた商品が出てきたとは言え、真の「和の物」「和服」は需要が減ったとは言え洋の影響を受けずに受け継がれている。これは、和菓子であれ和傘であれ和室であれ同じだろう。和洋折衷の商品が開発されても真の「和の物」は残り続けている。

 そして問題は、真の「和の物」を守り続けている業者が、その業界や販売の縮小により続けられなくなることである。最初に提起した和菓子屋も、結局和菓子の需要が減ることによって伝統的に創り続けて来た和菓子が売れなくなり廃業を迫られている。

 呉服業界も西陣では織屋の廃業が続いている。「あんなに良い帯を織っているあの織屋が。」と言う例が少なくない。染屋も同様である。染屋が次々に廃業し、良い染物を探すのが難しくなっている。この状況が続けば近い将来どのようになるのかを心配せずにはいられない。

 グローバル化が進む世の中で、日本だけ頑なに「和の物」を守り押し通すのは時代錯誤である。今後益々「和の物」は少なくなっていくだろう。

 表題に「和の終焉」と書いたけれども、「和の終焉」は、「和の物」を必要とする人がいなくなるのではなく、「和の物」を心から欲している人がいるにも関わらず終焉を迎えると言う事だろう。

 和菓子を食べたいけれども和菓子屋がない。和室を創りたいけれども畳職人がいない。きものを着たいけれども呉服屋がない。そんな風に「和の終焉」を迎えてはならないと思う。

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