全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-77 寿司屋と呉服屋(その4)
➃ 寿司も呉服も高価と思われている。
「思われている」と書いたのは、あらぬ誤解を払拭するためなのだが、どちらも法外に高いわけではなく、寿司はネタによって価格が大きく異なる。マグロのトロや雲丹、赤貝など魚屋で見ればその価格に合点も行くだろう。とは言え、ラーメンや牛丼に比べたら高い、と言う意味である。
呉服に関して価格の話をするとこれもまた誤解のデパートになるのだが、世の中には適正相場よりもはるかに高い価格できものを購入している人も多々見かけられる。しかし、適正価格でも洋服よりは高価である。これについては「きもの春秋2.きものは高いか安いか」を読んで欲しい。
以上が「寿司」と「きもの」を比べた類似点であるが、私が寿司屋で感じた「あれっ、呉服業界と同じじゃないか。」と言うのは、そのような物理的な意味での類似性ではなく、両業種が時代の中で置かれている境遇についてである。
寿司屋は以前、街中に沢山あった。「〇〇寿司」と書かれた看板をよく見かけたものである。繁華街や飲食街はもちろんの事、住宅街でも寿司屋の看板はよく見かけた。
それらの寿司屋で供されたのは、程度の差こそあれ主人が職人技で握った寿司だった。 「寿司屋の職人」と聞くと、私は何故か頑固親父を想像する。頑なに自分の技に拘る職人である。
山形に今でも伝説的に語られる寿司屋があった。父が時折出入りしていたが、私も子どもの時、一二度連れて行ってもらった事があった。主人は、子供の目にも頑固そうな爺さんだった。子供の頃なので仔細は分からなかったが、父の話によると次の様だったと言う。
・目の前にあるネタを頼んでも、自分が出したくない時には「ない」と答えた。鮮度が気になるのか、そのお客様に相応しくないと思ったのだろう。
・酒ばかり飲んでいる客には、「ここは寿司を食べる所だよ」とけん制する。
・奥さんが手伝っていたが、炊いた飯に酢を混ぜる時に奥さんに団扇で飯を扇がせていた。その風が弱いと、「もっと強く扇げ。」と
お客様がいても大声で叱責していた。
・調理している時には、お客様に声を掛けられても一切話をしない。その分、奥様がお客様に応えていた。
その寿司屋が閉めてもう五十年も成るのだろうが、そんな頑固な寿司屋が伝説的に語られている。最近、妙な頑固さを売り物にしている飲食店も見かけるが、そのようなパフォーマンスではなく、本当の頑固さが客を呼んでいた。
私はその店で寿司代を自分で支払った事はもちろんなかったが、相当に高かっただろう。それは、自分の目利きで材料を仕入れ、自分で加工下ごしらえして、自分で握る。職人が最初から最後まで自分の責任で行ってお客様に出す。当然高い物になる。
そのような目利きや技術を習得するのには長い修業が必要となる。そのコストが寿司を高価にしていると言えるかもしれないが、美味しい寿司を食べる為の正当なコストといえるかもしれない。
つづく