全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-79 きものの価値・物の価値(その12)
下の画像は、梶山伸氏の加賀友禅黒留袖である。
大分前に仕入れたものだけれども、今はお客様の箪笥に入っている。
この黒留袖を仕入れた時、何故かこれ程の作品が一般の商品の山に混じって入っていた。いつものようにその山の一枚一枚捲ってもらって品定めをしていた。そして突然この商品が目に留まった。それは他の商品とは全く違っていた。もちろん私はその加賀友禅が梶山伸氏の作品だと即座には分からなかったが、明らかに他の商品と違っているのは一目瞭然だった。
すぐにその商品を抜いて価格の交渉をした。それ程の値段でもなかった。私はその商品をそれ程気に入ってはいないというそぶりをしながら価格交渉し、安価に仕入れる事ができた。
通常この手の商品は高価で一部の消費者にしか買えないのだが、この商品はごく普通に黒留袖を買いにいらしたお客様の手に渡った。お客様には十分にご説明し、大切にしていただけるようお願いした。
私はいままでに仕入れた商品の中でもこの作品は最も気に入っている商品の一枚である。友禅の良さが存分に現れている。
柄の一つ一つを見てみよう。松の葉の形状は、一見稚拙に見えるかもしれない。琳派の松の絵に比べれば繊細さに掛け、実際の松の葉と比べるととても写実的とは言えない。しかし、柄全体を俯瞰すれば、花や枝、そして波の構図に溶け込んで素晴らしい柄を形成している。そして色使い。巧みに暈しの技法を用いながら全体の調和がとれている。
近くから見れば「塗り絵」のように見える一つ一つのパーツは、少し離れてみれば遠近感があり、松の葉や花は幾重にも折り重なっている。無造作に描かれた様な花の雄蕊は、離れてみる事によって非常に繊細に見える。
絵画と友禅は違うものであり、絵具や染料も異なり技法も異なる。しかし、どちらも具象を表現している。同じ松を表現するにも、長谷川等伯の水墨画と梶山伸の加賀友禅では全く異なるが、見る人の心にはどちらもはっきりと「松」が焼き付けられる。
水墨画に於いて長谷川等伯が、加賀友禅に於いて梶山伸が独自の表現の創作を行って「松」が我々の心に焼き付けられている。
画家はそれぞれがそれぞれの、友禅作家もそれぞれがそれぞれの独自の表現の創作を行っている。写実からは離れつつも、如何にして独自の表現創作で表せるのかである。
どうすればそれが見分けられるのか。それは・・・何もすることはない。ただその作品が描こうとしている物が素直に心に焼き付けられるかどうかである。
つづく