全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-79 きものの価値・物の価値(その17)
ラミー糸は機械で紡績される。繊維に限らず、技術の発達は目覚ましいもので、紡績で作られる糸は細くて均質な良質の糸である。
市販されている小千谷縮は、織物として非の打ち所がないほど良くできている。良くできているというのは、差し当たって織物にありがちな織ムラなどの織難がない。12mの反物を均質に織り上げられている。耳の整理もしっかりしている。5~6万円でこのような麻織物が手に入るのだから、夏場の着物としてもっと着て頂きたいと思うのだが、年々生産反数は減っているようだ。
さて、「上布」の方は、と言うと、前述した通り糸は手で皮を割いて作る。従って紡績糸のような均質な糸はできない。割いた糸を結んで長い糸に仕上げるので節ができる。
上布に使われる糸をこのように説明すると、
「小千谷縮の糸に比べて何と粗雑な・・・。」
と思われるかもしれない。しかし、本当の物の良さはここに隠されている。
もしも、上布を知らない人が、経験もなく糸を作ったとしよう。爪先で皮を割いて長い糸を作る。しかし、出来て来るのは幅の広い、糸とは言えない様なものができるだろう。糸にする為には極細くできるだけ均質に割かなければならない。これは素人が簡単にできるものではない。
素人や経験の浅い人が作った糸で織れば、とても着物地には使えない様な織物ができる。上布に使われる糸は、熟練に熟練を重ねた人が作っている。細く均質な糸ではあるけれども、紡績糸のような正確さはない。
真っ直ぐな線は定規を使えば引けるけれども、フリーハンドでは引けない。しかし、熟練を重ねれば、ほぼ真っ直ぐな線を引けるようになる。それが職人技である。人間の手業は必ず誤差が生じる。その誤差を極限まで少なくするのが熟練技である。
そうして創られた物には、機械で作ったものにはない温かさがある。これは前述した多くの例に共通するものである。
友禅の糸目は、職人が引けば、機械が引く型糸目のような正確さは無いが、型糸目にはない温かみが感じられる。注染の豆絞りは、捺染とは違った良さがある。型染の江戸小紋と捺染の江戸小紋を比べれば、その違いは歴然である。手作りのガラス器は、手作りでしか出せない味がある。
正確無比の工業製品の一歩手前の熟練職人の技が物の価値を私たちに感じさせてくれる。
私は飲み屋(スナック)で能登上布を着た人に会った事がある。顔見知りの人であったが、きものを着てカウンターで一人で飲んでいた。私が入って行くと、
「おお、結城君。」
と言うので、隣に座った。その方は、時々きものを着て歩いている。夏場に浴衣姿も良く見かけた。夏なのでゆかたを着ているのかと思った。
つづく