全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-79 きものの価値・物の価値(その2)
物には、「良い物」と「そうでない物」がある。「そうでない物」とは「良い物」に対して「悪い物」と表現する事もできるが、「悪い物」と言う表現は適切ではない。「そうでない物」は「良い物」程の価値は無いが、「そうでない物」と言う価値は十分に認められるべきで、「悪い物」として否定する事はできない。
高いクロマグロに対してイワシは「そうでない物」であるが、イワシの価値は誰しも認める所である。マグロやイワシは自然の産物であるが、人間が創った物を考えても同じである。先に揚げた手創りの陶器と鋳込み造りの陶器も同じことが言える。作家物の高価な手創りの陶器が良い物としても、世の中それだけを欲している訳ではない。家庭で日常使う為の鋳込み造りの陶器も必要とされているし、むしろこちらの需要が大きいだろう。
要は、その価値成りの価格を消費者が受け入れていると言う事である。消費者が物の価値を正しく判断できれば市場は健全に発達する。
消費者が受け入れる「良い物」「高価な物」とは何か。何がその商品を高価にさせているのか。
まず第一に、染物、織物に限らず工芸品一般に、すばらしい作品と呼ばれるものは手間を掛けて創られている。日本伝統工芸展の入選作品を見ると、染織、陶芸、金工、象嵌、竹細工など、どれをとっても実に精緻に、いったいどれだけ手間を掛けて創ったのだろうと思わせられるものばかりである。
伊万里や久谷の染付皿は、「よくもここまで」と思うような精緻な柄を皿一面に描かれている。箱全面に隙間なく施された象嵌の箱を見ると、「どれだけ時間を掛けて・・。」と思ってしまう。良い作品は手間暇をかけて創られている。
第二に、その作品は高度な技術を持った作者自身の手で創られている。
いくら手間暇を掛けても、稚拙な技術で創っても良い作品は得られない。高度な技術を持ってして初めて良い作品ができる。そして、その工芸によっては弟子の手を借りる場合もあるかもしれないが、本質的には作者自身の手で作品が創られる。
高い技術を持った技術者、作家が手間暇を掛けて良い作品が創られるが、手間暇を掛けて創った作品、高い技術を持った作家が創った作品が必ずしも良い作品だとは限らない。その関係は必要十分条件ではない。
高い技術を持った技術者、作家が手間暇を掛けて創るのは、良い作品を創る為の一つの条件であって、それが良い作品かどうかはまた別の話である。
では、良い作品には更にどのような条件があるのだろうか。これは言葉で表すにはなかなか難しい。
例えば絵画を例に採ると、ゴッホの作品とクリムトの作品は似ても似つかない。ピカソを含めれば更に、
「すばらしい絵画とはこういうものだ。」
と説明するのは難しい。染織においても同じで、どのような着物が良い着物なのか説明しにくいけれども、いくらかでも私の言葉で説明したいと思う。
つづく