全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-79 きものの価値・物の価値(その9)
「こいず、何だと思う。」
「こいず」とは山形弁で「これ」の事である。
御当主は、私を少しからかうような目をして言った。
「これは、昔駅で買ったんだ。」
その徳利は昔、駅弁と一緒に売られていた酒の入った徳利だった。
今も昔も旅をする時には弁当や酒はつきものである。現在も酒は売られているが、箱の酒やワンカップの酒である。スクリューキャップの一合瓶も売られている。
駅で売られていた目の前にあるような徳利は私も覚えている。しかし、私が覚えているのは、形は似ているが王冠キャップの一合瓶だった。昔の列車の窓の下には王冠を抜く栓抜きがあった。ビールやお酒、清涼飲料水を開ける為のものだった。
しかし、目の前の徳利は王冠のそれではなかった。私が知っているのは昭和30年代後半である。その徳利はそれ以前のものであった。よく見ると酒の銘柄が印刷してある痕跡があった。どうにかしてその印刷を消していた。
私の知っている王冠キャップの一合瓶はガラスがもっと分厚く、造りも良い?ものであった。大量生産で作られた一合瓶である。目の前の一合瓶はその前、おそらく昭和30年頃かもっと前の物だろう。
物が大量生産される前は、当然の話だが全て手作りだった。「手作り」の定義を何処まで広げるかは問題があるが、言葉を変えて言えば「昔は全て本物」だった。
同じ駅で売られていた物に「釜めし」があった。器に使われていたのは本物の陶器だった。さすがに一つ一つ手で創った訳ではなく鋳込みづくりだろうけれどもプラスチックや紙ではなかった。当時、旅行の時に釜めしを食べると、重いけれどもその器(釜)を大切に持ち帰って、それでご飯を炊いてもらったりしていた。
そう思うと、目の前の徳利が違ったものに見えて来る。蓋はコルクを使ったのかもしれない。職人が一本一本作った徳利である。ガラスは非常に薄い。
その当時並べられて売られていた徳利は、厳密に言えば一本一本形が違っていただろう。現代の酒瓶はどれも同じである。きわめて正確に創られている。誤差がなくきれいに仕上がっているが、味がないのである。
「良い物は高い物」と思われている。しかし、大地主の旦那が目を付けたこの徳利が、良い物の原典のように思える。駅で売られている一合瓶はせいぜい500円程度。その酒を除いた容器がこの徳利である。瓶の原価は数十円かもしれない。昔もその程度の価値だっただろう。しかし、昔はその瓶を一つ一つ手作りしたのである。その瓶を今まじまじと見ると、確かに手作りの良さを感じさせてくれる。現代の酒瓶と比べてみると、その徳利は何か私に語り掛けてくれるように感じる。
御当主は、その徳利をまだ数本持っているようで、私はその徳利を貰って帰った。ガラスが薄く、冷で飲む時に氷水に浸けるのに最適である。ガラスを吹いた職人を思いながら大切に使っている。
つづく