全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-80 呉服業界まだまだ、私も井の中の蛙(その2)
二つのメーカーは山形市の隣の町にあった。
「あれっ、こんなところにメーカーがあるの?」
山形の和の小物と言えば米沢が主流だった。米織の生地、紅花染の生地または米織の技術を使って織られた生地で小物が作られている。
私は良い商品を探し、仕入れるのであればどこへでも行くが、こんな直ぐ近くにメーカーがあるとは思ってもみなかった。
早速休みの日に女房と行って見ようと言う事になった。前日にアポの電話をした。二軒とも快く承諾してくれた。二軒目では奥さんらしき人が電話に出て、その後主人に代わったが、電話の奥で機械の音がしていた。機を織っているらしい。
翌日午後伺った。一軒目は住宅地の中。広い屋敷の一角が事務所になっている。事務所に上がると茶の間に通され話をした。
聞けば、本業は糸屋だった。主に紬糸を卸しているという。小売屋の私からすれば一番遠い存在である。しかし、直ぐに話は通じた。お互いに口から出る問屋や織屋は知っている。いわば業界の一番川上と一番川下が対話しているようなものだった。
お陰で業界の絹糸の事情がよく分かった。私は常に問屋や機屋を通じて絹糸の情報を入手しているつもりだったが必ずしも現場を正確に把握していなかった。中国の絹市場の事情も聞かされているのとは違っていた。
その会社では中国で紬糸を生産し、国内の紬生産者に広く紬糸を卸していた。山形の、それもすぐ隣町にそのような会社があるとはまるで知らなかった。井の中の蛙であった。
小物は副業として作っていたが、紅花染や苧麻の小物、また紅花染の布団まで作っていた。早速商品を品定めして仕入れをした。
さて、もう一軒を訪ねたが場所が分からない。場所を確認し近くまで行ったが分からない。小さな看板でも出ているのかと探したが見当たらない。そこで電話をして場所を教えてもらった。
その会社は、公民館の隣の細道を入った所だった。そこには古い建物があり中から機械の音がしていた。声を掛けたけれども誰も出ない。さらに奥に行くと自宅があった。そこでようやく御主人に会う事ができた。
茶の間に上がって話をした。隣の部屋には出来上がった織物が置いてあった。絵羽物が衣桁に掛けられ、反物は畳に積まれていた。ここは機屋だった。工房で機織の音が響き、織られた商品がここに並んでいる。紅花や藍、その他の草木染、また山形特産のさくらんぼの実で染められた物もあった。
糸は真綿を使い、経糸緯糸共に真綿を使ったものもある。結城紬と同じである。このような織物がこんな処(すぐ隣の町)で織られているとは知らなかった。井の中の蛙であった。
つづく