全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-81 コロナの功罪(呉服業界)
2019年末に中国武漢で発生したコロナウイルスは、瞬く間に全世界に広がった。
翌年1月15日には、日本での一例目の患者が確認される。2月には横浜港に寄港したクルーズ船で感染者が大量に確認され、それ以降全国に広がって行った。
当時は大変な騒ぎとなり、感染を防ぐためにマスクが飛ぶように売れ、夜の街は閑散となった。最初の頃山形でも感染が確認されると、たちまちに噂が広がり、コロナが出たところには近づかない様にと言う雰囲気だった。
その頃の感染者数は今から思うと極微々たるものだった。ただし毒性が強く、感染した人の中には、死亡したりエクモを装着して生死の境をさまよう人も多かった。
しかし、その後感染者は鰻登りに増え、2022年の8月には1日25万人以上が感染している。死亡者も増えていたが、最初の頃程の警戒感は薄れていたように思う。
そして2023年5月8日に5類に移行し今日に至っている。今でも感染者が増えているという話も聞くが、夜の街も戻りつつあり、社会も元に戻りつつあるようにも思われる。
さて呉服業界は、と言うと、未だに後遺症が続いている。
コロナが流行し始めた頃、2020年の夏ころから急激に呉服を求める人が減って来た。おそらく私の店だけではなかろう。売上が減り、毎月赤字に陥る、と言うのは呉服業界に限らずほとんどの業界が見舞われた事だろう。
政府の補助政策で何とか繋いだが、それは後に国民の負担となるのだろう。
コロナの時には呉服業界にとっては、成人式、結婚式、葬式と言った儀式が減り、フォーマルの着物を着る機会が激減した。それに加えてお茶会などもなくなり、着物を着る機会が無くなったと言っても良い程減少していた。
最近、結婚式も徐々に開かれるようになった。成人式も開かれている。山形市では今年、市を南北に二分して二回に分けて行われた。葬式は、コロナの頃も行われていたが、形式が変り、参会するのではなく、葬儀場に訪れて焼香だけをして帰るのが一般的になって来た。女性はわざわざ着物を着てくる人はなく、皆洋服姿であった。そんな中、私だけが頑なにきもの姿である。
私の店では展示会は行わない。必要な人が買いに来る。実需の減少は直接売り上げに響く。そう言う意味からは、未だに元には戻っていないというのが実感である。
しかし、問屋がやって来て話を聞くと、大々的に展示会をやっている処では、徐々に客は戻って来ているという。客が戻って来ていると言えども全く元通りと言う事ではないだろう。呉服業界は、ボディブローを受け続けたボクサーの如く様々な意味で影響を受けている。
つづく