全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-82 良い物どっさり
先日、お客様より電話を頂戴した。内容は、
「三年前に母が無くなり、遺品の着物を実家から持ってきたので見て欲しい。」
と言う物だった。
「沢山あるのですか。」
と聞くと、
「ええ、沢山持ってきましたので見て欲しいのです。」
と言う返事だった。
その亡くなられた方は、私の店の古くからのお得意さんで、私が子供の頃からお世話になっていた。
家に伺うと、
「どうぞ、和室に揃えてありますので。」
と和室に通された。
そこには私の店の畳紙に包まれた着物が積まれていた。畳紙は新しい物から古い物まである。畳紙の表には、店の名前と電話番号が書いてある。私の店の電話番号は「623-0466」だけれども、「23-0466」と書かれた物もある。局番が二桁時代のものである。更に「3-0466」と記された物もあった。局番が一桁である。昭和30年代の物だろう。私が小学生の時、店の電話番号は「3-0466」であった。少々黄色に変色した畳紙は何か懐かしさが感じられた。
さて、畳紙を一つ一つ開いて着物を見て行った。
「これは、どういう時に着たら良いですか?」
「この着物にはどの帯を合わせたらいいですか?」
「少しシミがあるのですがどうしたら良いでしょう?」
等々、一枚ずつ検証していった。
その亡くなられたお客様は、本当に着物の好きな方だった。私が山形に帰ってからも何度か着物を納めたことがあったが、良い着物を選ばれていた。常に着物を着ている訳ではないが、事あれば着物を着ていた。
昔の方の中には始終着物を着ている方も居られた。そう言った方の着物にはウールや紬が多いが、今回の方の着物は訪問着や小紋が中心でお洒落物の紬が何点かあった。畳紙を一つ一つ開くうちの私は楽しくなってきた。私の記憶にある着物や帯が次々と出て来たのである。
今は亡くなられた作家の作品。既にやめてしまった染屋の訪問着。今は織っていないであろう織物。それらが次々と目の前に現れた。
今は染めていない和更紗の小紋。佐賀錦の袋帯・・・最近、問屋で佐賀錦の帯を見かけなくなった。今でも織られているのだろうか。木の木目を使った木版刷りの紬。貴重な作家物の留袖もあった。
中でも私が一番気に入ったのは、線描きの糸目友禅の小紋だった。
鈍いピンク地に糸目だけで柄を描いた小紋だった。真っ白な細い糸目で山水の柄が描いてある。派手な小紋ではなく色無地に飛び柄の線描きの模様が入っている。しかし、手描きの良さが満ち満ちていた。
お客様は、大した着物と思わずに処分するつもりだった。
「形見分けで、誰かに揚げようと思って。」
とおっしゃっていたが、この小紋について説明した。
柄は飛び飛びに同じような柄が上下変えながら描かれている。しかし、同じように見える柄は、実は一つ一つ微妙に違っている。手描きならではの味である。そして、一本一本の線が実に丁寧ではあるけれども素早く入れているのがよく分かる。
12メートルの白生地に同じ柄をいくつも入れて行く。線は擦れたり膨らんだりする事なく見事な糸目である。その根気と技は、相当の熟練職人によるものだっただろう。
私は暫し見とれてそして、
「今日見せて頂いた着物の中で、高い安いは別として、これが一番気に入りました。もしも今出ていれば仕入したいくらいです。」
そう言うと、お客様は私の説明を理解したらしく、
「それでは洗って大切にします。」
と言われた。
他の着物も一枚一枚、「これは〇〇で」と言う説明ができる着物ばかりだった。
積まれていた30枚程着物を見て3時間も過ぎていた。その中で10枚程度、「きれいにしてしまっておきたいから」と、洗う事にして持って帰った。
帰りの車の中で、「久しぶりに良い物どっさり見たな。」と言う気分だった。
今ではもう染められたり織られたりしていない着物。技術そのものが継承されていないだろう着物。捺染やインクジェットなど現代の技術に侵されていない染織品がそこにはあった。
昔はそのような着物や帯が当たり前に売られていた。今日見た着物は格別の例外品ではない。そう思うと、全国にはまだどれだけの良い物がどっさり残っているのだろうと思う。
しかし、それらは不用品として安易に捨てられたり、中古品としてその価値も認められることなく葬られているのかもしれない。もったいない話である。