全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-84 夏物(その8)
最初に書いた通り、衣服の目的は体温を保持する事であり、暑い時には涼しい衣服を、寒い時には暖かい衣服を身に付けるのが本来の目的であり、日本の着物と言えども同じである。
日本では古来季節感を大切にしてきた。衣替えと言う習慣で着物が季節を感じさせてきた日本の伝統である。この衣類による季節感の創出と着る者にとっての快適な着物との間に齟齬が生じている。汗だくになって袷の着物を着ると言った本来の衣服の目的を逸脱した例が散見される。
しかし、昔の人達と言うよりも元々の和服は、衣服の本来の機能と日本ならではの季節感を両立させていたのである。
ツヅの言葉を解析すれば、寒い夏(冷夏)の場合、羽織は薄物、長着は単衣(または袷)を着たのだろう。また、袷の時期で暑ければ、羽織は袷、長着は単衣を着たのだろう。それが礼儀に叶っていた。そして、それは「身分の高い人か同輩の者かを訪問する場合」即ち晴れの場である。普段に何を着ていたかをツヅは書いていないが、普段着であればその日の気温に合わせた着物を着たのだろう。
私はそのように解釈するのだけれども、現代の人は、着物(衣替え)と季節感の関係に異常に固執している。衣類の本来の役割を無視して、
「いくら暑くても(中から外まで)袷を着なさい。」
「寒くても薄物の時期には我慢して薄物を着なさい。」
と言う様に。
ツヅが書き残した昔の習慣は、現代の着物事情を改革する参考になると思うのだが、一つ考えなければならない事がある。
当時ツヅが日本の着物のしきたりを観察する上で対象にしたのは主に男性、それも武家や高級商人いわゆる旦那衆かもしれない。ツヅは宣教師として多くの庶民とも接していたはずである。しかし、当時の庶民は厳格に衣替えをしていたとは考えにくい。暑ければ薄着を、寒ければ厚着をと言う衣服の原則が先だったのではないだろうか。
ツヅの云う「身分の高い人か同輩の者かを訪問する場合」(晴れの場)は、武家や商人等の極一部の人達が直面する機会であり、またそれは主に男性だっただろう。
現代は、結婚式や表彰式など晴れの場は多い。そして、それは男女平等に機会がある。しかし、昔は結婚式に参列する女性はどれだけいたのだろうか。いたとしてもそれは高位の武家の奥方や商家の主人の御母堂や奥方などではなかったのではないか。
庶民は、今でいう留袖や訪問着、附下、紋付などは持っていなかっただろう。大体家紋を有する庶民はいなかった。「晴れの場」に限れば、ツヅの目は主に武家や旦那衆に向けられていただろう。
殿中の姫や高級商人の奥方や娘たちは着物の季節感を大切にしていたかもしれないが、それは極少数ではなかったのではないか。
つづく