全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-85 スクラップアンドビルド(その2)
着物や帯の寿命は木材ほどではない。法隆寺夢殿で発見され1200年の眠りから覚めた「猪狩紋錦」は誰にも触れられることもなく1200年の時を経て残っているが、劣化して織物としての役には立たない。木材と比べるのは無理があるが、それでも100年程度の経年変化には優に耐えられる。
私が今好んで着ている単衣の着物は、私の祖母が着ていたものである。祖母が着ていた紬の江戸小紋を父が仕立て替えして着ていた。それを私が譲り受けて今も着ている。祖母は明治の生まれ。生きていれば125歳である。その江戸小紋が何時仕立てられたのかは分からないが、仮に50歳の時だとすると着物として75年経っている。60歳としても65年である。50年は間違いなく経ったその江戸小紋は、擦り切れたり破れたりすることもなく新品同様に今私が着ている。
他にも綿の長板中形の浴衣など、やはり50年以上着ている着物が沢山ある。50年間着ている洋服など聞いたことがない。着物の寿命はとても長いと思う。
100年以上昔の着物に触れる事もある。昭和初期や大正時代の着物は残念ながら擦り切れたり、生地が弱くなっている物が多い。これは、当時の生地が現代よりも量目が軽く(薄く)強度が劣っていた為だろう。本来絹は丈夫で100年は十分に耐えられるものと思う。昭和30年代以降の着物は、100年間は着られるのではないだろうか。
現在、古着屋に多くの着物が並んでいる。どのような経路で古着屋に並んでいるのか。経緯は様々だろうけれども、それらの中に50年以上前の着物はそう多くない。中には仕付け糸が付いた真新しい物もある。それらを見ていると、先日見かけた、解体された店舗で使われた柱の木材と重なってしまう。
「こんな生きている着物が、着られる事もなく古着屋に並んでいる。」
着物は洋服よりも高価である。着物が洋服よりも高価なのはそれなりの理由があるが、洋服の古着屋の商品と比べれば明らかである。安いから捨てたり粗末に扱って良い物ではないが、高価な着物がどのような過程を経て古着屋に並んでいるのかを想像すると、私は暗い気持ちになってしまう。
高価な大島紬が格安の価格で並んでいる。反物で〇十万円したものが、ほんの数万円あるいは数千円で売られている。間違いなく数十万円でその反物を買った人がいる。その人は反物を呉服屋に仕立ててもらった。その人は余程その大島紬が好きだったのか、着て見たかったのか。そうだとすると数十万円はたいて買ったのだろう。
さて、その着物は何故古着屋に並んでいるのだろう。様々な事が考えられる。ひょっとして、その方が亡くなって家族が売ったのだろうか。お金に困って売ったのだろうか。それとも、親が揃えてくれた大島紬を着る機会もなく、着るつもりもなく売ったのだろうか。それとも・・・呉服屋としては考えたくない事なのだが、初めからその大島紬の着物を着るつもりはなかった、その大島紬は買いたくは無かった。
もっと他の理由があるかもしれないが、大島紬の気持ちになればとても悲しい事である。
つづく