全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-85 スクラップアンドビルド(その3)
着物は今迄数多く生産されてきた。「数多く」等と言うものではないだろう。「星の数」と言っても良いかもしれない。
呉服業界今は実質2千億円位だが、40年前は2兆円と言われていた。年間2兆円もの着物が出回っていたのである。2兆円と言えば、何着の着物を意味するのか分からないが、それ程の数の着物が毎年市場に出回ったのだから累積すればどの位になるのだろ。
毎年毎年多くの商品が出回るのは着物だけではない。洋服も数から言えば着物以上に生産され市場に出回っている。食料品や消耗品は無くなるので残る事は無いが着物は箪笥に積み重ねられて行く。
洋服の場合は消耗する一面もある。私が子どもの時には、膝や肘が擦り切れるとツギあてをして着ていた。兄が着た服を「お下がり」と称して古くなった洋服を着せられていた。しかし、現在、洋服は次々と消耗される。
洋服と着物の違いは、その寿命の長さにある。寿命とは単に製品の耐久性ばかりでなく、その形にある。形とはデザインである。
着物の形は変わらない。男性であろうと女性であろうと形は基本的には同じである。冬物も夏物も形は同じである。若い人も年配の人も基本的な形は同じ形の着物を着る。そして、昔も今も形は同じである。(長い歴史を見れば着物の形は微妙に変わっているが、そのスパンは人の一生を越えるものである。)。即ち、着物の場合、デザインは皆同じである。
一方洋服は、形・デザインを競っているので、年々形が変わる。そして、それは「流行」として世間で捉えられ、年を経ればそのデザインは時代遅れとして着られなくなってしまう。洋服は、その耐久性のみならずデザインの陳腐化で消耗品とされてしまうのである。
着物は形による流行の変化がないために捨てられることはなく、また長く着られる工夫もされてきた。
汚れたり摺り切りたりするところにはそれなりの工夫がされている。肌に付き汚れやすい襦袢の襟元には「半襟」が付いている。半襟はワンタッチで取り換えられる着物の部品である。
着物の掛け衿も同じである。半襟に守られているとは言え、着物の衿は汚れやすい。訪問着や留袖の衿にファンデーションが付いたと持ち込まれる事頻りである。
掛け衿の汚れが重なってしみ抜きも出来なくなった時には掛け衿を外し、ずらして付ける事もある。また、絣の様に裏表が同じ場合は、掛け衿を裏返して付ける。それでも汚れが目立つ場合は、掛け衿の下にある衿を欠いて掛け衿と交換する、と言う事も出来る。
袷の着物の八掛は表生地よりも微妙に長く付けられる。外から見て僅かに八掛の色が見える、と言う視覚的な効果もあるが、実は八掛が表生地を守っている。八掛が僅かに出ている為に、裾が擦れる時には八掛が擦れる。擦れて破れるのは八掛である。八掛が破れれば、解いて八掛をずらして、また元通りにすると言ったこれも着物を守る工夫である。
つづく