全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-89 着物・・時代と共に
「着物は時代と共に変わる」そう思うのは私だけではないでしょう。
では、一体何が変わったのか。着物の形は時代とともに変わって来ました。一見着物の形は変わらない様に見えます。しかし、とても長いスパンで着物の形は変わっている。私の母の時代、祖母の時代とは着物の形はそう変わってはいない。しかし、江戸時代の小袖は現代の着物とは違っていました。
変わったのは着物の形ばかりではありません。着物を着る習慣も変わって来ています。昔は日本人全員が着物を着ていました。しかし、明治維新以来、洋装文化が流入し洋服を着る人もちらほら現れて来ました。私が子供の頃は、街を歩く婦人が着物を着ているのは珍しくはありませんでした。小学校の時には、授業参観ともなれば、教室の後ろで立って見ているお母さん方の半分くらいは着物姿だった。また、入学式、卒業式ともなれば半分以上のお母さんが着物を着ていました。
着物は時代と共に変化しています。着物の形や着る習慣、また着る人時代も変わってきています。
さて、私は着物を売るのを生業としている呉服屋である。私がこの業界に飛び込んでから40年以上になるが、この間着物は様々な意味で変わって来ました。私にとってその変化は余りにも急激に思えました。その急激な変化に付いていかなければならなかったし、何とか付いてきたつもりです。
商売、もっと広い意味ではビジネス、事業は、常に時代を先読みしながら時代と共に自分が変化し時代に合わせていかなければ生き残れません。時代の変化が激しい昨今は特にそう思う。
かつて日本の家電メーカーが華やかなりし頃、と言うよりもその末期的時期に、家電メーカー「シャープ」が液晶パネルの生産世界一でした。2001年の事である。
私が子供の頃「シャープ」は「ナショナル」や「サンヨー」「東芝」「日立」に並ぶ総合家電メーカーでラジオからテレビ、音響機器など家電製品を造っていました。しかし、日本の家電が次第に台湾や韓国のメーカーに取って代わられるにつれて、「シャープ」は液晶に特化して事業を進めた。三重県亀山市に工場を建設して「亀山モデル」と称する液晶パネル、液晶テレビの生産を始めた。
当時私は「なるほど、一点に特化するそう言う生き残り方があるのか」と感心していたが、その覇権は僅か2年程度しか続かなく衰退の一途を辿り、ついに台湾のメーカー鴻海に身売りし、そして昨年大型ディスプレイの生産も終了してしまいました。
巧く時代を呼んだつもりでも最先端の事業の変化の速さには付いて行けなかったのでしょう。
時代の先読みはどんな業界でも必要である。
私は商店街の開発事業にも取り組んでいます。「商店街」と言えば全国の「シャッター通り」と揶揄される商店街を連想される方も多いのではないだろうか。
かつての商店街、昭和30~40年代の中心商店街はとても賑やかでした。日曜日ともなれば人の波で覆いつくされました。街の商店もとても元気が良かったのを覚えています。
しかし、昭和50年代に入ると郊外店が出来始めました。そして平成に入りインターネットの発達でWEB販売も増えて来た。従来の商店街は次第に寂れてシャッター通りと揶揄される商店街も全国各地に現れています。
流通の世界も時代と共に変わっている。昔と違うのは、消費者が車を獲得し、また交通手段、交通インフラ、通信インフラの整備によって広範囲に買い物が出来るようになった事です。
しかし、それでも全国の商店街の多くは、時代の変化に気づかずに相変わらず昔の考えで商店街を再開発しようとしています。その結果近隣の消費者に頼っていた商店街はことごとく壊滅しています。
どんな業界でも時代の変化を察知し付いていかなければならないのである。
さて、呉服業界はどうでしょうか。
つづく