明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題

Ⅶ-89 着物・・時代と共に(その13)

ゆうきくんの言いたい放題

 私の呉服屋のイメージでは、これだけ同じ反物を一つの店で売るのは考えられなかった。よほど大きな呉服屋さんなのだろうと思った。
「本当にこんなに沢山、同じ着物をその呉服屋さんは売るんですか。」
そう先輩社員に聞くと、
「いや、こんなもんじゃないよ。〇〇(染屋)はもっと持って来るだろ。」
今回染屋が納めたのは極一部だと言うのだ。

 しばらくして私も取引先の呉服屋の事が分かり始めた。

 その呉服屋さんは一番のお得意先だった。お店は京都を中心に十数店舗あった。本店は京都の中心部、私がいた問屋の近くにあった。しかし、そこは事務所だけでお店はない。呉服屋のイメージではなかった。

 十数店舗あるお店は、それぞれが違う屋号を名乗っている。〇〇呉服店、××呉服店と言う様に。そのお店に一度だけ担当者に連れて行ってもらった事があった。店の前には「〇〇呉服店」と看板が立てられているが、中に入ると呉服屋然としていない。商品は積んでおいてはいるが「事務所」と言った風だった。反物を飾ってある呉服屋のイメージからは程遠い。

 一体どんな商売が行われているのか、帰りの車の中で担当者に聞いた。

 それらのお店で着物を売ることはない。一つのお店には十人程度の店員がいるが、その人達が着物を売るのではなく、展示会への勧誘に周っていると言う。あちらこちらで定期的に展示会を催し、その集客の為に店員が走り回っていると言う。「〇〇苑」と言う本部が展示会を催し、傘下にある呉服店がお客様を集めて来る、といったシステムだった。

 その展示会に行った事はなかったが、相当数着物は売れていた。商品は問屋を介して全て借りて展示会を行う。私のいた問屋がメインとなっていたので売上は歴然だった。

 私のいた問屋に持ち込まれた小紋の端には、「〇〇苑」と言う文字が染められていた。その呉服屋オリジナルの着物である印だった。しかし、それらの商品は「〇〇苑」が買い取るのではなく、全て私のいた問屋を通して「〇〇苑」が展示場に借りて並べる商品だった。
「売れ残りはどうするのだろう?」
素朴な疑問が湧いてくる。

 展示会に50反持ち込まれたとして20反売れ残れば問屋を通して染屋に戻される。染屋としては、50反染めても30反しか売れない。残った20反の着物には「〇〇苑」と言う名前が入っている。他の呉服屋では売れないだろう。

 そう思って先輩に聞くと、
「なあに、戻ってくるのは1~2反だよ。」
と言う。数十反持ち込んでほとんど売ってしまう、とはどういった商売をしているのだろう。まして、同じ柄の着物である。

 そして、更に驚かされたのは、その販売価格だった。

つづく

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