全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-89 着物・・時代と共に(その15)
私が京都の問屋に勤めていた時、担当していたのは小さな(普通の)呉服屋が主だった。私の店(結城屋)の様に商店街に店を持って呉服店を開いている店。郊外に店を開いて、販売員が廻って販売する訪問販売が主流の店、そしてもう一つは店を持たずに呉服を商う「かつぎ屋」と呼ばれる呉服屋があった。
呉服の訪問販売は当時当たり前だったが、私には驚きだった。私の知っている結城屋では訪問販売をするのを見たことがなかった。お客様は店に着物を買いに来るものと思っていたのである。
そう言う意味では、結城屋は遅れていた、と言うよりも昔ながらの呉服屋であった。(今もそうであるが。)
問屋の上司に、
「結城君のオヤジさんは何の車に乗っているの。」
と聞かれた事があった。さぞ良い車に乗っていると思ったのかもしれない。しかし、
「いえ、親父は免許持っていません。」
そう言うと驚いた表情で、
「えっ、店の車もないの?」
と聞かれて、
「ええ、うちに車はありません。」
と答えて驚かれたのを覚えている。
呉服屋はどこも車を持って商売するのが常識だった。と言うよりも、車がなくて商売ができるのか、と言う感覚であった。
訪問販売の呉服屋はもちろん車で商売をしていた。店によっては五台も六台も営業車があった。「かつぎ屋」ももちろん店がないのでお客様に訪問して呉服を売るので車は必需品だった。
「かつぎ屋」さんは、自宅を拠点として1人で商売をしているケースがほとんどだった。主人1人か夫婦で呉服屋をしている。特定のお客様をお得意様として驚くほどお客様と親密に関係を築いていた。
ある時、私が担当する「かつぎ屋」さんに伺うと主人が不在だった。奥さんに聞くと、
「今うちの人は〇〇さんの家の庭掃除に行っています。」
と言われた。庭掃除までして信頼を勝ち取ると言う商法を教えられた。私には驚きだった。
小さな呉服屋さんや「かつぎ屋」さんは、大きな展示会を催すことが難しい。大手の呉服屋さんは広い展示会場に沢山の商品を並べる。問屋さんの協力があってできる事であるが、それには沢山のお客さんを集める事が前提となる。しかし、呉服屋さんや「かつぎ屋」さんは、それ程多くのお客さんを集める事はできない。数百人のお客様を集める展示会とせいぜい10~20人程度のお客様しか集められない店を比べれば、問屋さんの協力も違って来る。問屋さんの協力か見込めなければ展示会は催せない。
お客さん(消費者)にとっても、より多くの商品が並んだ展示会の方が魅力的である。そこで大きな展示会と言う潮流が出来て来たのであるが、その潮流から言えば、呉服屋さんや「かつぎ屋」さんは商売から取り残されてしまった感があった。しかし、実はまた違った潮流が起きていた。
問屋さんから見れば、まだまだ呉服屋さんや「かつぎ屋」さんは良いお得意さんである。数の上では大手の呉服屋さんよりも呉服屋さんや「かつぎ屋」さんの方が圧倒的に多い。その呉服屋さんや「かつぎ屋」さんをまとめれば大きな展示会が催せられるのである。
つづく