全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-89 着物・・時代と共に(その3)
私が業界に入った頃には既にその兆候があった。昔からの呉服屋でも振袖に比重を置き、中には振袖専門に扱う業者も現れていた。
私は山形に戻って商売をしていたが、振袖の売上はそう多くはなかった。全く売れない訳ではないし、私はそんなものだと思っていた。
しかし、問屋さんと話をする内に、
「結城屋さん、振袖はそれしか売らないんですか。もつと振袖に力をいれませんか。」
と言うようなことを言われた。よくよく話を聞くと、毎年数十枚振袖を売る店があり、それなりのノウハウがあると言う事だった。
振袖屋さん(振袖を専門に売る呉服屋)は、実に微に入り細に行った販売ノウハウを持っていた。
名簿を手に入れる。名簿は幼稚園のだと言う。幼稚園の時からDMを出して成人式の振袖販売に繋げていた。DMは豪華なカラーの冊子で、製作費も随分かかるだろうと思われるものだった。また、豪華な冊子の他にビデオテープを送るケースもあった。いずれにしても大層立派なDMで、私の店のような小さな呉服店ではとてもできるものではなかった。
こういった企画は、大手の振袖屋さんは自前でやっていたらしいが、振袖を企画している問屋さんが創っているところもあった。
取引のない問屋さんが突然やって来て、豪華な振袖の冊子を広げて勧誘された事もあった。
「今年は、女優の〇〇さんを起用しました。いかがですか。」
と冊子を広げながら売り込んでゆく。とても私の店ではついて行けるものではなかった。
ついて行けないと言うのは、その企画のみではなく、そこに掲載された振袖は私の目にはとても違和感があった。伝統的な振袖を扱ってきた目で見るととても扱う気にはなれなかった。それらの振袖は、それまでの呉服とは全く違った世界の物に見えた。
そして販売方法も、名簿に記載された成人式担当者にDMを送り、さらに電話を掛けて勧誘していく。そして、最後は家に訪問して振袖の購入を勧める。販売は展示会を催して客を集めていたが、中には京都や温泉に招待して販売するケースもあった。それらを行うには莫大な経費と人手が必要だった。とても私の店で真似のできる事ではなかった。
振袖そのものが時代と共に変化していた。柄そのものも変わったいたが、帯締めはチャンピオンベルトのような飾りの付いたもの。半衿はビーズやスパンコールのような物もあった。私の目には違和感があったが、世の中の変化と共に、そういった振袖が若者の指示を得て行った。
そして、成人式の衣装は、振袖・着物とは思えない物が登場していた。
肩をはだけた花魁か遊女のような振袖?、男性は落語家が着るような色とりどりの紋付。果ては歌舞伎衣装か何か分からない様な衣装。それらは成人式に相応しいと一部の若者からは指示を受けていた。
つづく