全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-89 着物・・時代と共に(その8)
その頃の話を聞いていると、当時は現在とは正反対の商売だったことが分かる。
現代の商売(呉服屋以外の商売も含めて)は販売する事に注力している。どんな商売でも売上を上げるために販売促進に一生懸命である。
呉服業界では訪問販売をはじめ展示会商法その他あらゆる販売方法が次から次へと考え出されている。それらは過度に行きすぎている感もあるが、いずれも売らんが為の努力である。つまり、売る商品は沢山ある。それを買ってくれる人を見つけるのが難しい、と言うのが現代の流通事情である。
しかし、戦後の商売は商品を販売するよりも、如何にして商品を仕入れるか、手に入れるかに注力していたらしい。
戦後荒廃した日本で、物がなく消費財がない。庶民の購買力も最悪だったかもしれないが、それ以上に商品の供給力が低下していたのだろう。
呉服業界は今商品不足に直面している、と私は感じている。商品不足と言っても戦後の商品不足ではなく、需要の減と共に職人が減り染屋織屋も店を閉じ、本当に良い商品が手に入らなくなってきている。お客様の要望に応えて商品を探すのに苦労する昨今である。
それでも私が問屋に顔を出せば、
「結城屋さん、ちょっとこれを見てください。」
「是非見てもらいたい帯がありますので。」
と言う様に売り込みの一手である。
現代は「お客様は神様です」と言う言葉通り、買い手が上と言う感覚がある。もちろん本当は売り手も買い手もどちらが上と言う事はないのだが。
戦後の時代は「売って頂く方が神様です」と言う感覚だったかもしれない。当時は商品を手に入れる為に闇市や闇のルートで商品が売買されていたと言う。
また、父の話しでは、紛い物の商品も多かった。糊を増量して反物の量目を増やしたり、化繊を正絹と偽って売ると言ったインチキ商売も横行していた。父が鑑定を依頼され、裁判所で偽物だと証言した時、被告に睨みつけられたのが恐ろしかったと言っていた。
化繊の反物の端だけ正絹にした反物も出回っていたらしい。これも父から聞いた話だけれども、経糸が同じであれば端だけ正絹と言う訳には行かないはずだけれども、途中で継いでいたのか分からない。とにかくあらゆる手段で商品を欲しがる業者に商品を売渡していたらしい。
現代は立場が逆転して、「俺はお客だぞ」と言う人もいる。昔と今は商品の供給量が変っただけで、どちらが上と言う関係ではないはずなのだが。買っていただいたお客様には「ありがとうございます」と頭を下げるのは何時の時代でも同じだとも思うのだけれども。
つづく