全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-91 現代白生地事情(その2)
「いいえ、今は10万反そこそこですよ。25万反というのは数年前の数字です。」
私が調べた25万反と言うのは、令和2年頃の統計だった。それから数年でその半分に減っているのである。
最盛期の昭和48年の1000万反に比べれば、生産反数は、僅か1%である。99%が姿を消しているのである。そこで私は更に聞いた。
「昭和48年に比べて百分の一に減っていると言う事は、織機も百分の一になっているんですか。」
百分の一と言うのはとんでもない数字である。二百店の商店街が、僅か二店の商店街になってしまうようなものである。尤も商店街の場合は二店では商店街ではなくなってしまうけれども。丹後で200台の織機を動かしていた織屋さんは今たった2台の織機しか動かしていない計算になる。織屋さんの答えは次の様なものだった。
「ええ、反物の織機に関して言えばそうなっています。」
私は、織屋さんとって余り触れられたくない質問をしてしまったか、とも思ったが織屋さんは落ち着いて答えてくれた。答えの趣旨は、「反物の織機に関して言えば」と言う事のようだった。
更に続けて聞いてみた。
「今、絹は中国物ですか。」
この質問にも答えづらいのかなと思ったけれども、あっさりと答えてくれた。
「ええ、ほとんど中国です。ブラジルはだめですね。」
一頃ブラジルの絹が盛んには言って来たことがあった。しかし、今はほとんどが中国だという。日本の絹は、と言うと今はほとんど作られていない。国内でもまだ少量作られてはいるけれども、むしろそれらの中には使えないものが多いという。
私が最後に見た正真正銘の日本製の縮緬地は群馬県の碓井製糸のものだった。その話をすると、
「碓井製糸さんの糸であれば使えますが、他の物は使えません。」
碓井製糸は昔からの製糸工場で間違いない糸を作っているが今はほとんど作っていない。いくらかは作っているのかもしれない。しかし、その他での養蚕は品質管理がなされていないのだろう。
それにしても、その話を聞いて私は寂しい気持ちになった。
昔(2~30年前)には、日本の絹のすばらしさをとくとくと聞かされていた。日本では昔から蚕の品種改良に努め、均質で細い絹糸を創ってきた。小石丸と言う蚕種は宮中の御養蚕所で大事に育てられ品質を保ってきた。
小石丸は小さく養育も難しく、生産性が悪いために民用には使われなかったが、外来種と掛け合わせた新小石丸と言う蚕種がその品質を受け継いで一頃盛んに創られていた。今日本の養蚕業の消滅とともに最近は聞かなくなった。
そんな歴史のある日本の蚕糸であるが、中国産と聞いて拒否反応を感じるのはもはや時代に合っていないのだろう。
つづく