全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅱ-ⅱ 店頭販売
「店頭販売」は商売の正道と言える。呉服屋のみならず商売の原点は店頭販売にある。
「店頭販売」と言う言葉は近代になってからの用語かもしれない。江戸時代以前にはどんな商売が主流だったのだろう。
呉服の商売で言えば、江戸時代には「ひいながた」と称するカタログで注文をとって商品を納めたり、商品を屋敷に持参して販売する「屋敷売り」が基本であった。どちらかと言えば「訪問販売」の部類かもしれない。商店街という概念も有ったかどうかはわからない。現代とはおよそ違った流通形態であっただろう。
しかし、江戸時代初期に三井越後屋の三井高利が現代の店売りに通じる商法を確立する。「店前売り」と「現銀掛値なし」である。その商法のおかげで三井越後屋はたいそう繁盛したと言う。
「ひいながた」や「屋敷売り」の対象となるのは限られた人達であったろうし、庶民にとって安心して着物を買える店として三井越後屋は支持を得たのだろう。
江戸時代の三井越後屋の繁盛を描いた歌川豊春や奥村正宣の絵には、数百畳もあると思われる店内で多くの客が着物の品定めをする様子が描かれている。その様は現代のデパートに群がる客を彷彿とさせる。
「店前売り」と「現銀掛値なし」は、商品の回転を早くして金利負担を軽減し、その分商品の値段を下げて万人に正札を提示すると言う商売の正道を意味している。現代のようにマスコミが発達していなかった江戸時代には、正札販売は庶民にとって今以上にインパクトがあったのだろう。
明治以後、情報が発達してくると価格をはじめ商品に関する情報は広く庶民に伝わってゆく。特定の人に対する閉鎖された空間でのソロバンは通用しなくなる。正札販売は当たり前のこととして受け入れられてゆく。
それ以後は、消費者が店に出向いて値札を見て買い物するのが当たり前に成る。消費者は値札の価格を見て判断して買い物ができるようになった。百貨店や商店街が充実してくると益々店頭売りは商売の主流となっていく。
それでも昔(それ程昔ではなく私が子供の頃)は、もちろん訪問販売もあった。「御用聞き」や「行商」である。
「御用聞き」は、各家庭を訪問して必要なものを聞いて後で商品を届ける商法だった。酒屋さんなどが主流だったようだが、酒類は重くて奥様方が運べないという事情もあったのだろう。また「行商」は、農家で採った野菜や果物をリヤカーにつけて売りにやってくる。
私が子供の頃、夏休みになると「〇〇婆ちゃん」と呼ばれる行商人がとうもろこしをつけてくるのが楽しみだった。
御用聞き、行商ともに今の訪問販売とは違って極自然の商売だったと思う。
呉服の場合はどうだろう。
店を張った呉服屋は店頭で販売していたが、一方で訪問販売もしていた。また「かつぎ屋」と呼ばれる呉服屋は店を持たずに得意先をまわる商売もあった。
それらの訪問販売は何時ごろから行われているのかは分からないが、私の祖父が地主の旦那衆に通っていたのと無関係ではなさそうである。
店頭での販売、店頭での買い物には、沢山の商品を見比べることができる、他の店との比較をしながら品定めができるというメリットがある。商品を並べる側の店としては、いい加減な値札は付けられない。三井越後屋の「店前売り」と「現銀掛値なし」は、そのまま消費者の利益になると共に、お店同士が切磋琢磨しあう場として業界にとっても良い方向へ導くはずである。
「店頭販売」は消費者が、必要な時に出向いて必要な物を、納得できる商品を納得できる価格で買える場であり、商売の正道と言える。
つづく
次回のUPは1月11日になります。