全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅵ-ⅳ 成人式に思う(きものの将来)(その3)
和様を問わず、服装、衣装はこれまでのしきたりとは一線を画して、今後益々自由に着られるのかもしれない。
紬やゆかたで結婚式に、と言うことにもなるかもしれない。訪問着はお洒落だと、普段に訪問着を着て歩く人も出るかもしれない。黒のきものはカッコがいいと喪服を着て歩く人もいるかもしれない。男性も赤や黄色の着物を着たり、演歌歌手のように染の訪問着を着る人も出かねない。
誰がどんなきものを着ようとも、誰も止めることはできない。皆がそれを支持すれば、それまでの非常識は常識となる。これまでの着物の変遷もそのような民衆の好みのエネルギーに突き動かされてきたことも否めない。
私が子供の頃、卒入式でお母さん方は制服のように黒の羽織を着ていたものだが最近はほとんどなくなった。それも時代の移り変わりとともに着物の着方が変わってきた証左と言える。それでもその変化は誰も違和感を感じずに、それまでのきもののしきたりの範疇内での変化だったように思う。
しかし、昨今の状況を見るに、その変化の速度と向かおうとしているベクトルの方向があまりにも早く、そして無指向に向かっているように思える。
きものの行く末が日本人の流れの総和として帰結点を求めているのかどうか疑問である。あるいは、何のしきたりもない、何時どんな時に何を着ても構わないような着物のしきたりを望んでいるのかもしれない。それも日本人の選択であれば、それが日本のきものの帰結点なのだろう。私の考えや好みがどうあろうと、それはどうしようもないことである。
私にとっては、今までの着物のしきたりが崩れていくのは大変残念なことではあるけれども、それは逆に個人の好みでしかなくなるかもしれない。
成人式でどんな着物が流行ろうと、きものではない衣装が主流を占めたとしても、誰かに聞かれれば、「昔からのきものはこうですよ。」と言える人が何人か残っていてもよいように思える。
村の古老のように、誰かが日本の心を聞いてきたときには、それに応えられるような呉服屋でありたいと思う。