全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-95 きものの知識「加賀友禅」(その2)
一人の作家が全ての工程をこなすとしたら、更に箔置や刺繍を施すのには無理があったのかもしれない。
加えて金沢は京都と違い当時の産業規模は違う。京都には多くの職人が居り、どんな作業でもこなす職人がいる。金沢には箔置きや刺繍を施す職人がそれ程いなかったのかもしれない。
加賀友禅は、修行を積んだ人が認められ協会に認められた人達が染める物で、素晴らしい作品が多い。加えて作品には落款が押してあり、誰の作品化が分かる。作家物として素人目にも判断できるものである。
一方京友禅には元々落款は押していなかった。(私の知る限りである)加賀友禅は作家物として取り上げられブームを呼んだ節もある。加賀友禅と京友禅を比べて加賀友禅は作家物なのだから上、と言う考えは成り立たない。京友禅の名誉の為に説明しておこう。
京友禅は工程ごとに多くの職人の手を経て創られる。その職人は専門の熟練職人である。糸目を入れるのは糸目職人、色を挿す職人、刺繍を施す職人、箔を置く職人など多岐に渉り熟練の職人が制作に携わっている。京都の染屋に言わせれば、一人が全てを制作するよりも、その工程ごとに名も無い熟練職人が携わっているのだから素晴らしい作品ができる、と言う事なのだろう。
加賀友禅にしても京友禅にしても、作家や職人が丹精込めて創った作品は素晴らしい作品であることは論を待たない。
しかし、加賀友禅がブームになったのが引き金になったかどうかは分からないが、落款を有難がる風潮が何時ごろからか生まれて来た。
京友禅には落款は余り見られなかったが、落款を押した着物が増えてきた。京友禅にも作家は居り、作家の落款が押されている物も有ったが、それは極少数だった。しかし、作家物ではない物にも落款が押されるようになった。
作家物ではない落款と言うのは、工房の落款であったり、企画品の落款であったりするが、素人目にはどれも区別がつかない。作家の落款であれば良い、工房の落款は悪い、と言う話では全然なく、問題はその作品の良し悪しなのだが、それによって消費者の目が眩まされることもある。
その辺の事情については、「続きもの春秋 1. 作家物と落款」を参照していただきたい。
加賀友禅は歴史的にも一つの体形として進化したもので、京友禅とは違った良さがある。京友禅は京友禅の良さがある。それぞれの良さを理解して頂ければよいのではないかと思う。
つづく
