全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-ⅹ 絵絞り庵再訪記(その3)
絵絞庵の新しい工房は、古い長屋の一角にあった。古いと言っても京都らしい町屋である。ここから奥へ行けば三千院のある大原である。この辺りの歴史は良く知らないが、他にも古い町屋が点在しているのが分かる。
京都の町屋はどこでもそうだけれども、古い建物を大切に、そして巧く使っている。玄関は畳敷きで小間が続いている。その玄関を上がると奥の座敷に廣利先生が昔と変わらぬ優しい表情で座っていた。奥様がお茶を出してくれて話をした。
健先生は今まさに若い染色家として歩き始めている。しかし、先生が取り組まなければならない課題は作品の販売の問題である。
前項でも書いたように、呉服業界の流通は以前とはまるで違ってきている。昔は、染織家は物創りに専念していた。もちろん創る作品は問屋や消費者に受け入れられる作品でなければならないが、染織家の作品は問屋が買い取っていた。見本を元に問屋からの注文に応じて作品を創ったり、渾身の作品を問屋が争って買い取ることもあったかもしれない。
また、問屋が特定の染織家と契約し、その染織家が創る全ての作品を買い取る場合もあった。「〇〇作家の作品は〇〇問屋が留めている(全品買い取っている)。」時にはその作家の作品はその問屋からしか調達できない仕組みだった。問屋は染織家の作品を買い取ると同時に、作家を育てる役割も果たしていた。当時、染織家はより良い作品を創るのに没頭できただろうと思う。
しかし、今日問屋は染織家から作品を買い取るのは稀となり、染織家は作品創りだけではなく販売にも力を注がなければならなくなったのは前項でも書いた通りである。
健先生は父親の廣利先生とは違った時代で物創りをしなければならない。そこに健先生の悩みがあるように思えた。
染織メーカーの中には、問屋と同じように営業せざるを得ないところも出てきている。小売屋の展示会に商品を貸し出し、売り上げを作る。しかし、絵絞庵で一つ一つ手を掛けて創った作品はそう沢山できるものではない。大切に育てた我が子のように染め上げた作品を、あちらの展示会こちらの展示会とたらい回しにされればたちまち作品は傷んでしまう。
染織作品に限らず芸術品一般に言えることだけれども、その作品の良さを理解してくれる人に買ってもらうのが大切である。ある人にとってはいくら出しても欲しい作品が、別の人にとってはそれほど興味を示さないこともある。どのくらいの価値を生み出せるかはその染織家の腕だけれども、それに相応しい対価を支払ってくれる人と出会う必要がある。
しかしながら現在の呉服業界の流通形態を見るに、その出会いを見つけるのはとても難しいように思う。ただ売れればよいと言う問屋、「これは〇〇作家の作品です。」と付加価値を付けて高く売ろうとする小売屋。本当の価値を理解してもらえる土壌はいかにも少ない。
健先生は、そのネットワークを創ろうと腐心しておられるようだった。絵絞庵では工房で染色教室も行っている。多くの人に絵絞り(辻が花染め)を体験してもらい、作品を理解してもらおうという試みだと思う。
そして、私のような小売屋とも接触している。「売れればよい」だけでなく、作品の価値を分かってもらえる小売屋との商売を考えている。
小売屋と染織メーカーとの取引は難しい面もある。従来、問屋が買い取った作品はその問屋のお得意さんである小売屋数十軒、あるいは数百軒に紹介されて販売される。小売屋が仕入れる数は問屋に比べれば極少ない。小売屋は問屋が仕入れた沢山の商品の中から選ぶので、特定の染織家の作品を買い取る確率は極少ない。染織メーカーが小売屋と取引するには沢山の小売屋とネットワークを創らねばならない。とても難しいかもしれない。
しかし、私の店でも既に染織メーカーとの取引は始めている。理由は、問屋に商品がないので(問屋がメーカーから商品を買い取らない為)良い商品を問屋で探すのは困難になってきている。商品を注文してもレスポンスが悪く時間が掛かってしまう。気に入った染物、織物と同じメーカーの商品を見たいと思っても見られない等々。
小売屋としては一軒一軒染屋織屋を巡って商品を探すのはとても労力がかかるけれども、本当に良い物、価値ある物を探そうとすれば労を惜しむわけにはいかない。健さんの苦労も私のそれと裏返しの苦労かもしれない。
絵絞庵では作品を広げて見せてくれた。相変わらず福村先生らしいすばらしい作品だった。下がその作品の一部です。
他にもすばらしい作品がありました。もしも作品に興味がおありの方、または呉服屋さんがおられたら私(結城屋)または絵絞庵に直接ご連絡を頂ければ幸いです。
今回の訪問で物創りの現場、染織家の方々のご苦労が肌で感じられました。是非応援していただきたいと思います。
絵絞庵には、廣利先生、健先生ともう一人内弟子(そう呼んでよいのか分かりませんが)の若い女性の方が働いておられました。美大やデザイン学校でも出て先生を頼ってこられたのかと思いましたが、そうではなく本当に先生の技に魅了されて働いているのだそうです。内弟子の仕事は楽ではない。まして染織をとりまく環境が良いとは言えない中で、技を覚えることも、また技を伝える健先生の苦労も並大抵ではない。
「きちんと給料を払えるように頑張ります。」
と言う健先生の言葉が印象的だった。
本当の染色作品を懸命に創ろうとする先生方とそれを学ぼうとしている若い人たちがいることを肌で感じ、呉服屋として励まされたような、また背中を押された様な気がした