明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題

Ⅶ-86 着物絶滅危惧種(その2)

ゆうきくんの言いたい放題

 丁度七五三の季節なので、私の店には七五三用の四つ身小紋が飾ってあった。それを見てその問屋さんは、 
「ああ、これは×△染物の商品ですね。」
流石に問屋さんは商品を見ただけでどこのメーカーかが分かる。

 今七五三では殆どが既成の四つ身や三つ身を着ている。しかし、小紋であれば仕立替えができる。三つ身や四つ身であっても、本裁ちで身頃は裏に返して仕立てる。そうすれば子供が成長しても、身長に合わせて身丈を延ばしながら仕立替えができる。最後は大人用に仕立てて着る事ができる。また、小紋であれば、式服としてだけではなく正月なども着る事ができる。

 そんなメリット、着物本来の着方ができるので私の店では、七五三で四つ身小紋をお勧めしている。しかし、その小紋自体がなくなってきている。

 七五三と言えば、女児の帯に「丈二」と言う帯がある。今、七五三で女児が閉める帯の大半は「造り帯」である。帯結びが予め造られていて、それを背負う様にして帯を締める。かつて七五三の時期になると呉服屋の店頭に箱に入った造り帯が並べられていたが、最近はあまり見かけなくなった。貸衣装屋さんや写真館のレンタルに押されて呉服屋ではあまり売れなくなったせいだろう。それでも多くの女児が造り帯を締めている。

 造り帯は何時頃からできたのだろうか。造り帯ができる前は、女児と言えども大人と同じように帯を締めていた。その女児が晴れ着に締めた帯が「丈二」である。一言で言えば、「子供用の袋帯」である。「丈二」と言うのは長さが一丈二尺(曲尺)であることから来ているらしい。袋帯は曲尺で一丈四尺程度なので、丈二は長さが二尺ほど短い。幅は袋帯が八寸(鯨尺)に対して七寸で一寸狭い。

 昔は誰でも七五三では丈二を締めていた。今も丈二(子供用袋帯)はある。しかし、多くが化繊である。元々丈二は仕立てていない表地が丸巻きの物だった。もちろん正絹である。

 私が最後に丈二を扱ったのは十年位前だっただろか。取り寄せた数本の丈二は、大人の袋帯の名品と比べても遜色のない物だった。しかし、今はもう織られていないらしい。

 着物需要の減少、七五三の既製品化、レンタルの需要増による低価格化などの状況が、四つ身小紋の絶滅、丈二の絶滅に繋がっている。

 絶滅あるいは絶滅に近い着物や帯は沢山ある。昔は大手の問屋に行けば、あらゆる種類の染物、織物、全国各地の織物に接する事ができた。しかし、現在問屋に足を運んでも商品はなく、まして希少な商品は置いていない。

 問屋でお目に掛からないから絶滅したとは言えないが、少なくてもそれに近い状態にはあるようだ。

 地方で織られてきた絣や織物、町極地方の弓浜絣や広瀬絣、琉球の久米島絣など、まだわずかに織られているかもしれないがお目に掛かる機会は少ない。かつて莫大な市場を誇った大島紬でさえ残っている織屋は少なく、織っていても生産反数は極少なくなっている。

つづく

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