全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-86 着物絶滅危惧種(その3)
問屋で見かけなくなった多くの染物や織物は、必ずしも絶滅したわけではないだろうが、細々と生産されているらしい。
秋田には秋田黄八丈と言う八丈島の黄八丈に似た織物があった。しかし、ここ十年以上お目に掛からない。調べて見ると、未だ細々と織られているらしい。一人の職人が織っているらしいので、生産量は年間数反かも知れない。数反であっても織られているのであれば何故かほっとする。本場の黄八丈も最近は少ない。昔に比べれば激減である。
銘仙については以前書いたけれども、伊勢崎の銘仙は絶滅してしまった。問屋さんに聞いて、廃業した織屋を訪ねて商品を仕入れたのはもう十年も前の事である。最後の一軒だった伊勢崎の織屋は既に廃業していた。
秩父銘仙はまだ続いているが、昔に比べれば織られているのはほんの僅かである。昭和の初期には500万反近い銘仙が織られていたと言う。その時に比べれば絶滅に近いかもしれない。
同じ関東で織られる村山大島も最近とんと見かけない。以前「きもの博物館35.村山大島」(2001年)を書いた時、村山大島の織屋さんとお会いしたことがあるが、その後どうされているかは分からない。元気に織っていてくれれば良いと思う。
先に揚げた、弓浜絣や広瀬絣、久米島紬も同じである。細々とでも織り続けて欲しい物である。
染物でも姿を消す物もある。
江戸染の浴衣に、籠染と言う染物があった。通常のコーマ地の浴衣だけれども、裏表違う柄が染めてある。ドラム状の型紙(金属)で生地を挟んで両面を染めるらしいが、十年ほど前に無くなってしまった。
籠染は比較的新しい技術だけれども、小紋の染色法で「二枚型」と言うのがあった。詳しくは「きもの博物館20.文久二枚型小紋」を参照してもらいたい。型では染められない複雑な柄を二枚の型で染めるもので、柄を二枚に分解して型を造り、重ね染をする。複雑で細かい柄を分解するのは至難の業で、今でも江戸時代に造られた型をコピーして使っていた。しかし、この二枚型小紋も見られなくなった。型が亡くなったのか、染が難しいのか分からないが、やはり絶滅危惧種である。
例を出せば枚挙にいとまがない。その昔から創られてきた織物、染物の多くが絶滅または絶滅に瀕していると言っても過言ではない。しかし、例に挙げた織物や染物が絶滅しても着物が無くなる訳ではない。
つづく