明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題

Ⅶ-90 小売店、呉服店の役割

ゆうきくんの言いたい放題

 近年呉服屋がめっきりと減った。呉服屋ばかりではなく、あらゆる小売屋が減っている。

 私が子供の頃の昭和30年代40年代に比べれば激減である。商業統計によれば、1960年(昭和35年)の小売店の数は約130万店。その後増え続け、1981年(昭和56年)の約170万店をピークに減り続け、2007年(平成19年)には約115万店である。今はもっと減っているだろう。

 昭和35年と平成15年を比較するとそれ程減っていない様に見えるが、実はその中身を見ると、小規模小売店が激減している。

 1人~2人の所謂パパママストアーは、昭和56年に100万店以上あったが平成19年には50万店に半減している。それとは対照的に10人以上の所謂大型小売店は、8万店から20万店に倍増している。

 私が子供の頃、お店は町中至る所にあった。商店街ではなくても住宅街の中に八百屋さん、魚屋さん、自転車屋さん、パン屋さん、薬屋さんなどお店が沢山あった。

 家で「豆腐を買って来て」とお使いを頼まれると、玄関を出て右に行っても左に行っても豆腐を買いに行く事ができた。呉服屋さんも近所に2~3店あった。

 昔は遠くに買い物に行く事がなかったので、小売店は至る所にあったのだろうし、考えて見れば今よりも便利だったかもしれない。

 そう言った小売の流通事情を大きく変えたのが交通インフラの整備とモータリゼーションである。中央の大規模小売店が地方に進出し、さらにモータリゼーションの波を受けて郊外に大型店が造られる。更にロードサイド店と呼ばれる郊外店が林立するようになる。 そのような環境の中で既存の零細小売店は次々に店を閉めて行った。

 呉服店は、ナショナルチェーンをはじめとして大手の呉服屋が地方に進出し、郊外大型店にもテナントとして多く入っていた。その煽りをくって閉店した呉服店もあったが、呉服の需要そのものが低迷したために、今はナショナルチェーンも地方から撤退している。

 さて、残った地元の呉服店はと言うと、ナショナルチェーンが撤退したからと言って売上が戻ってきたわけではない。需要の減少が店舗の撤退以上のスピードで進んだこともあるが、インターネットの販売など、その他の商法が台頭してきていた。

 呉服に限らずインターネットは流通環境を根本から変えた。欲しいものは何でも買える。物によっては翌日に手元に届く。これもまた小売店の商売を圧迫している。このままでは、巷の小売店などいらなくなるのではないか、とも思える。小売店は生き残れるのだろうか。そう思わずにはいられない。

 先日小売店のありがたみを感じさせてくれる出来事があった。

 お客様からメールでの注文があった。メールの注文と言ってもインターネットの注文ではなく市内のお客様からの問い合わせメールである。

 注文は、不祝儀での引き物50個である。早々に揃えなくてはならない。お客様の処に伺って品物を決め、問屋に発注し納期を確認した。物は確保したのだが、問題は熨斗紙だった。お客様は黄色の水引を希望されていた。山形では黒水引が普通だが、私の店では黄色水引も用意してある。しかし、店の在庫は30数枚だった。急を要するので見本の熨斗紙を持って文房具屋に走った。

つづく

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