明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題

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ゆうきくんの言いたい放題

思わぬニュースが入ってきました。「古い着物はどうしたらよいか」は、さておいて、この件に付いてコメントいたします。
思わぬニュースと言うのは、「染の北川」倒産のニュースです。今時、残念ながら呉服業界では倒産、廃業はそう珍しいことではなくなりました。しかし、「染の北川」の倒産は私にとってある意味ショックでした。
昨年、西陣の老舗織屋「北尾」が倒産しました。それに続く「染の北川」の倒産です。これからの呉服業界を暗示しているようで複雑な思いです。
「染の北川」は染呉服のメーカーですが、消費者でもその名を知っている人は多く、お客様の中には「この小紋は北川です。」と言えば余り説明しなくてもわかる方もおられるぐらいです。
私が京都の問屋にいた時分、「染の北川」は仕入れ先の一つでした。担当者は度々やってきて商品を納めていました。私はまだ呉服業界に入りたての頃で、染屋織屋の名前もよくわからず、会社の規模も力関係も分かりませんでした。当時先輩社員が言った言葉が妙に印象的でした。「北川ばっかりで、うちの染物は皆北川になっちゃうんじゃないか。」
その言葉の裏には、「北川はしっかりした商品を創っている。」と言う意味がありました。決してひいき目ではなく、「良い染物を仕入れようとすると北川の商品になってしまう」と言う意味合いがあったように思えます。
当時一度だけ北川の会社に行ったことがありました。きれいな建物で、受付嬢が迎え、売り場に入ると所狭しと染物が並べてありました。一緒に行った先輩が、余りの商品の数に驚いている私に「北川は全部受注取りしているから、これらは全部売れるんだよ。」そう言ってまた私を驚かせました。当時は今よりはずっと呉服も売れていた時代ですが、「こんなに売れるものかな。」と感心していました。
今でも展示会に行くと、北川のブースには昔世話になった社員がいて「結城屋さん、待ってました。」と商品を勧めてくれていました。北側の商品は染がきちっとしているけれども、その分高価でそれほど仕入れることはできない。それでも、「昔のよしみで」と算盤をはじいて仕入れた商品はお客様にも評判は良かった。
昨年倒産した西陣の織屋「北尾」も同じようだった。「北尾」の帯に初めて出会ったのは京都の問屋に入ってしばらくしての事だった。私がいた問屋は総合問屋で、呉服に関する商品は何でも扱っている。袋帯も山積みしてあったが、その中に目についた袋帯があった。近くに織物担当の部長がいたので「この帯は?」と聞くと、「ああ、それは北尾さんの帯だよ。」と言われた。「他にもあるんですか。」と聞くと「北尾の帯は高いからそんなにないよ。」と言う返事だった。帯に付いている札の符丁を見ると他の帯に比べてずば抜けて高い。高いなりに良い織物であることは業界に入りたての私でも分かった。
それ以来、「北尾の帯」は私の憧れだった。憧れと言うのは、呉服屋として「北尾の帯を売ってみたい。」「北尾の帯の良さを分かってくれるお客様に会いたい。」と言うものだった。
「北川」「北尾」どちらも京都の染、織を代表するメーカーである。他にも良い染物、織物を創るメーカーはたくさんあるが、この二社の倒産は今後業界の行く末を暗示させる。
呉服商品の生産は激減していると言っても過言ではないが、需要も激減しているので量的に不足と言うことはない。しかし、問題はどのような商品が創られているのか、どのような商品が創られなくなっているのかにある。
呉服業界も時代とともに技術革新が進み、海外生産にも頼るようになってきた。染物は手描き友禅から型友禅、捺染プリントからインクジェットへと安価に染める技術が開発されてきた。織物は、手織りから織機へ、紋紙はコンピューターのプログラムが取って代わり、コンピューターと連動した織機は手織りでは考えられないような緻密な織物を創りだす。コンピューターが織り出した緻密な織物が人間の感性にどう響くのか、私には甚だ疑問なのだけれども、一方で職人が一筬一筬打って織り出した織物が姿を消してゆく。
二社の倒産は、そのような呉服業界、いや日本文化の流れを表しているように思えてならない

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