全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅳ-ⅰ 職人の後継者不足(その2)
織や染の仕事にあこがれる若者はいるし、その仕事の深遠さを考えればそういった人たちが増えることも考えられる。しかし、染織に携わる職人たちに与えられている現在の環境は劣悪と言ってもよい。
厳しい修行を重ねて良い染織品を創り、果たしてどれだけ社会が評価してくれるのだろうか。その辺りにこの問題の鍵がある。
博多織の代表的な織物である博多献上帯を例にとって見よう。
博多献上帯はきものが好きな人は誰でも知っている。経畝織と呼ばれる織物で、独鈷柄と花皿柄を縦に配した帯である。数社で織られているが、どれも柄は同じ伝統的な献上柄である。縦柄の本数によって「鬼献」「三献」「五献」と呼ばれる。色は基本的には地色と浮き糸の二色である。問屋さんに注文する場合は、「白赤の三献」とか「黒白の五献」などと言えば商品は大体特定できる。
機械で織られるものは価格は上代で五万円前後。(ただし、まともなルートでまともな商売での話である。これ以上高い場合は、その呉服屋のマージン率が高いか、余計な経費が上乗せされていると思うのが妥当である。)糸の種類によってはもっと安価なものもあるが、通常の一級品であればその程度である。(糸の種類については「フォトトピックス11,12」参照)
博多献上帯は昔からの柄を昔からの織り方で織られている。柄は同じで創作の入る余地はない。変わったのは機械で織るようになったことである。機械で織る技術がなかった昔は手機で織っていた。
今流通している博多献上帯は機械織だけれど、私の母が手織りの博多献上帯を持っていた。柔らかく、とても締めやすいという。私の母は毎日着物を着ているので帯の締めやすさはすぐに分かる。機械織と手織の違いはすぐ分かるのである。
以前、博多織の求評会に行ったとき、博多織の機屋さんに聞いたことがあった。
「今、博多献上帯の手織りはあるのですか。」
答えは、「否」だった。創作的な博多帯はあるが、伝統的な献上帯は手織りでは織っていないと言う。理由は、手織りは高価になること、そして、緻密な縦畝織では難が目立つ(出やすい)ということだった。機械織の博多献上は見ていただいて分かるように、表面は非常に緻密に細かく織られている。杼の飛ばし方、筬の打ち込み方等、手作業の微妙なズレが表面の出来に響いてしまう。
手造りの良さ、手作業の技はそのような微妙なズレが創り出す物なのだけれども、素人目には機械織の均一な出来の方が良く見えてしまう。そして、若干の難があれば、それは難物として評価されてしまうのである。
機械で織れば五万円程度の博多献上帯を手織りでつくれば、いくらになるか分からないが、20万円や30万円はするだろう。そして、手作業の技を難と見られては仕事にならない。
手織りの本来の締めやすさよりも、見た目で判断されてしまう。職人の技術を正しく受け止めてもらえず、自然と博多献上帯の手織りは敬遠されている。
染織職人の技を正しく評価されなくなってしまったことも職人の後継者不足の原因である。