明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの春秋終論

Ⅳ きものを取り巻く問題 ⅰ職人の後継者不足

きもの春秋終論

 きものの売上減少に伴って、着物地や帯地の生産が急速に減少している。

 工業製品の生産が減少すれば、生産設備は休止し、それに携わる労働者は余剰となるのが常である。反物や帯の生産数は昭和40年代に比べると十分の一、物によっては百分の一に減少したものすらある。

 一頃(20年位前)には、「友禅職人は仕事がなく、タクシーの運転手をしている。」というような話を聞いたものだった。ご他聞にもれず、きものの生産現場でも労働力が現場からはじき出される現象が起きていた。

 しかし、最近はまた別の問題が出てきている。

 西陣の織屋さんと話をすると奇妙な返事が返ってくる。

「最近、景気はどうですか。」と尋ねると、

「いやー、人手が足りなくてこまっていますよ。」と言う。

 さぞ景気がよいのかと思うとそうではない。機を織る人が年々減っているという。現在、帯地を織っている人の平均年齢は65歳。高齢の人は次々とやめてゆく。若い後継者がいないので、平均年齢は年を追う毎に高くなってゆく。

 何故平均年齢が高いのかと言えば、賃金の低さにある。織職人の給料は十五万円くらいだと言う。職能に対する給料なので年功と共に賃上げされることもない。若い人が夢を持って従事できるレベルではない。年金を貰っている経験者が、小遣い稼ぎでできるレベルである。

「タクシー運転手になった」若い職人を引き戻そうにも、賃金が見合わず、又長い間手仕事の現場から離れた職人の技術も戻ってこないのである。

 と言うわけで、きものの生産現場では、人手不足、後継者不足が起こっている。

 このような人手不足は単に生産数量の減少を招くだけではなく、その質にも影響している。

 最近、老舗の織屋でも目を見張るような商品は目立って少なくなった。織屋さんの話では、今までの物を織らせるのが精一杯で、新しい織りの商品や高度な技術を要する織物にはとても手がまわらないと言う。

 そこには、織り手の高齢化と高度な技術に目を向けてくれなくなった市場が背景にある。

 機織や染色自体は夢のある仕事である。

 私が京都にいた三十年前、西陣の老舗織屋で帯地を織っていた女性がいた。彼女は私よりも五つほど年嵩で、機織に魅せられ、機に向かってこつこつと帯を織っていた。

「杼を真っ直ぐに強く通して筬を打つと帯はこんな顔を見せるの。杼を斜めに通して筬をやさしく打つとこんな風合いが出るの。杼を通す角度や筬を打つ力加減で同じ帯でもまるで違った帯になるの。」

 彼女は目を輝かせながらそう言っていたのが思い出される。

 米沢で機を織っている若い女性が、「もっと本格的に織を勉強したい。」と尋ねてきたこともあった。西陣や琉球などを紹介してくれないか、ということだった。

 西陣の織屋はどこも厳しく、新規採用してくれるところはあるかどうかわからない。賃金もどれだけ貰えるのかわからないと説明したが、是非にと言うので、帯の織屋を紹介した。

 織屋の主人は、会うだけ会って帰そうと思ったが、余りの熱意に絆されてそのまま採用してもらった。

 沖縄で紅型を染めている若い女性が尋ねてきたことがあった。自分の作品を見て欲しいと言う。作品を数反持ってきて見せてくれた。一生懸命に染めたことは良く分かる作品だったが、仕入れるには至らなかった。

 彼女らは皆、機織が好き、紅型染が好きでたまらない。他にもっと良い収入の道があることは分かっているが、今の仕事に打ち込みたいと思っている。それほど機織や染色の仕事は夢のある仕事なのである。

 織や染の仕事にあこがれる若者はいるし、その仕事の深遠さを考えればそういった人たちが増えることも考えられる。しかし、染織に携わる職人たちに与えられている現在の環境は劣悪と言ってもよい。

 厳しい修行を重ねて良い染織品を創り、果たしてどれだけ社会が評価してくれるのだろうか。その辺りにこの問題の鍵がある。

 博多織の代表的な織物である博多献上帯を例にとって見よう。

 博多献上帯はきものが好きな人は誰でも知っている。経畝織と呼ばれる織物で、独鈷柄と花皿柄を縦に配した帯である。数社で織られているが、どれも柄は同じ伝統的な献上柄である。縦柄の本数によって「鬼献」「三献」「五献」と呼ばれる。色は基本的には地色と浮き糸の二色である。問屋さんに注文する場合は、「白赤の三献」とか「黒白の五献」などと言えば商品は大体特定できる。

 機械で織られるものは価格は上代で五万円前後。(ただし、まともなルートでまともな商売での話である。これ以上高い場合は、その呉服屋のマージン率が高いか、余計な経費が上乗せされていると思うのが妥当である。)糸の種類によってはもっと安価なものもあるが、通常の一級品であればその程度である。(糸の種類については「フォトトピックス11,12」参照)

 博多献上帯は昔からの柄を昔からの織り方で織られている。柄は同じで創作の入る余地はない。変わったのは機械で織るようになったことである。機械で織る技術がなかった昔は手機で織っていた。

 今流通している博多献上帯は機械織だけれど、私の母が手織りの博多献上帯を持っていた。柔らかく、とても締めやすいという。私の母は毎日着物を着ているので帯の締めやすさはすぐに分かる。機械織と手織の違いはすぐ分かるのである。

 以前、博多織の求評会に行ったとき、博多織の機屋さんに聞いたことがあった。

「今、博多献上帯の手織りはあるのですか。」

 答えは、「否」だった。創作的な博多帯はあるが、伝統的な献上帯は手織りでは織っていないと言う。理由は、手織りは高価になること、そして、緻密な縦畝織では難が目立つ(出やすい)ということだった。機械織の博多献上は見ていただいて分かるように、表面は非常に緻密に細かく織られている。杼の飛ばし方、筬の打ち込み方等、手作業の微妙なズレが表面の出来に響いてしまう。

 手造りの良さ、手作業の技はそのような微妙なズレが創り出す物なのだけれども、素人目には機械織の均一な出来の方が良く見えてしまう。そして、若干の難があれば、それは難物として評価されてしまうのである。

 機械で織れば五万円程度の博多献上帯を手織りでつくれば、いくらになるか分からないが、20万円や30万円はするだろう。そして、手作業の技を難と見られては仕事にならない。

 手織りの本来の締めやすさよりも、見た目で判断されてしまう。職人の技術を正しく受け止めてもらえず、自然と博多献上帯の手織りは敬遠されている。

 染織職人の技を正しく評価されなくなってしまったことも職人の後継者不足の原因である。

 博多献上帯を例に採ったが、そのような例はいくらでもある。例えば浴衣地。今の浴衣地は捺染、プリントが主流である。昔ながらの型染や注染でも染められているが、量的には圧倒的に捺染、プリントが多い。捺染やプリントでは型染や注染の味は出せない。染を良く知る人であればプリントの出来は評価できない。

 しかし、型染や注染ではどうしても若干の染めムラができる。軽微なものであれば、それが型染や注染の特徴であり、味でもあるのだが、プリントを見慣れた人達にはそれが難と映ってしまう。

 注染の浴衣地のわずかな泣き(型の折り返しで生ずるムラ)を難物として返品してくる例が後を絶たないという。

 染織職人が今後生き残り育ってくれるのかは、それを評価する人達に掛かっている。コンピューターの仕事をありがたがり、手仕事の妙を難物としか評価しないのでは職人の生きる道はない。

 今の世の中で、染織にしろ陶芸にしろ本物に接する機会はなくなっている。多彩に染められたプリントの浴衣を好む若者は、染織の妙が分からないのではなく、知らないといってよい。昔に比べれば、経済的には遥かに裕になっているのだが、文化的には退歩しているように思えるのは残念である。

 さて、何が悪いかにが悪いと言ったところで問題は解決しない。これからも職人が育ってくれること、牽いては伝統的な染織技術が後世に受け継がれるにはどうしたらよいのだろう。

 それには消費者が理解してくれることが前提となる。消費者に一番近いのは小売屋である。着物を商う小売屋である呉服屋が消費者に対して染織の正しい知識を伝えるべきだと思う。

 商売は利益を目的とする。その為には売れる商品を揃えなければならないし、価格的にも消費者が受け入れられるものでなければ売れない。商品を選ぶのは消費者であり、安いものを選ぶのも消費者の判断である。呉服屋がすばらしい染織品を消費者に奨めたとて消費者に買ってもらえなければ商売にはならない。

 しかし、消費者が好むもの、売れる物を追求してきた故に、安価な商品が市場を席巻し職人達の居場所を奪ってきたように思える。

 呉服屋は無理に職人が創った物を消費者に押し付ける必要はまるでない。ただ、消費者には染織品を扱うプロとして正しい知識を消費者に伝える必要があるのではないだろうか。まして、捺染の染物を「手描きです。」とか、ただの型染のきものを「人間国宝の作品です。」などと消費者に説明するのは言語道断である。

 消費者には、高価であれば何故高いのか、安価であれば何故安いのかをきちんと説明して販売することが寛容である。そして、次第に消費者の理解が得られれば消費者の好みも職人技の妙を選択するようになり、商売としても為に成るのではないかと思う。

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