明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの春秋終論

Ⅵ.きものつれづれ 22.絹の動向

きもの春秋終論

 まず、先週お伝えしました当社サーバーのトラブルについて、無事復旧したことをご報告申し上げます。「全日本きもの研究会」が閲覧できなくなり、またメールが使えなくなったりとご迷惑をお掛け致しました。

 今回のトラブルで、改めて現代社会の複雑さと危うさを感じさせられました。

 ITについては、必要な事はある程度知識を得ていたつもりでしたが、本来周知すべき知識は、私の持つそれの数十倍あるいは数百倍に及ぶもので、またその進化発展は非常に早く、必須事項でありながら私が全然知らないことが次々と生まれているようです。

 大変便利な今日のIT社会ですが、そこにどんな落とし穴があるのかと考えると身の毛もよだつ気がいたします。

 今回のトラブルで、三週間近くWEBが閲覧できなくなり、ご覧になっていた方の中には、「とうとう結城屋もなくなった」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。メールが使えない事で重要な情報を失っていたかもしれません。

 いろいろとご迷惑をお掛け致しましたが、ゆうきくんは元気です。これからも頑張ってやっていきますのでよろしくお願いいたします。

 さて、前置きが長くなってしまいました。「Ⅶ-16 絹」では日本の絹について書いてみました。特に品質の良い日本の絹が失われることについての一考でした。

 そして最近また「絹」について考えさせられる出来事がありました。

「絹」は呉服の素材であり、欠くことのできない物です。呉服業界(狭い意味で、問屋→小売屋→消費者)では、その素材については余り語られません。

 私は、店にやって来る白生地屋さんとは「日本の絹は・・・」「中国の絹が値上がりして・・・」と言った話はしますが、具体的に定量的にどのようになっているのかは把握していません。

 一般の小売りの現場では、現在絹の供給がどのようになっているのか、どういった絹が目の前の反物に使われているのかは話には登りません。むしろ、反物に「日本」の刻印があれば、それを強調して「これは日本の絹ですから・・・。」との売り口上に替えてしまいます。

 以前説明した通り、その反物がどこの国の物か、日本産かと言った事は非常に複雑で、「日本」と言う文字が反物に刻印されているからと言ってそれが完全な日本製(製繭から製糸、製織、精錬、染や織の加工)とは限りません。

 小売りの現場では、そんなことはお構いなしに売り口上に利用されているのが現状です。

 自分が扱う商品は、一体どこから来ているのか、その供給体制はどうなのかは呉服業界に限らずどんな業界でも気になるところです。

 魚屋であれば、マグロやイカが高くなった、タコが高騰していると言う話題は、小売店のみならず消費者も敏感です。マグロやウナギの漁獲高が減って価格が高騰すると「私のような庶民の口には入らなくなるのでは・・・」と心配になり、タコが高騰すれば「たこ焼きは一個いくらになるのだろうか」と考えてしまいます。

 自動車業界や建設業者は鋼材の価格には敏感であり、中国のダンピングやアメリカに輸入規制などのニュースには常に耳をそばだてています。

 あらゆる業界にとって原材料の供給状況を把握する事は、プロ意識以前の問題であり、敏感であるべきです。しかし、呉服業界に限っては、問屋小売屋のレベルでは余り真剣に顧みられることがないのが現状です。

 先日、問屋さんがやってきてある業界紙を見せてくれた。絹糸や白生地の業者が創っている業界紙で、絹の動向が定量的に書いてあった。所謂呉服業界(問屋→小売屋→消費者)の雑誌ではお目に掛からない統計資料だった。

 その業界紙は、実はその問屋さんの話題が掲載されていたのでそれを紹介しようと、持ってきたのだったが、私はついそちらの方に目が行ってコピーさせてもらった。

 その資料を元に絹の大元の現状がどのようになっているのかを考えて見たい。

 絹の供給状況を考える前に、現在の呉服業界の現状を紹介、把握しておこう。

 西陣における帯地と着物地の生産量の推移である。

 昭和50年における帯地の生産本数は、7,332,867本、着物地は2,388,646反である。これに対して平成26年は、帯地が600,917本、着物地が44,947反である。即ち昭和50年から今日まで45年間で帯地は8.2%(91.8%減)、着物地は1.9%(98.1%減)である。どちらも十分の一、五十分の一である。驚くべき数値である。

 もっともこれは西陣の統計で、他の産地もあるので業界全体の数値ではないが、どこの産地も似たような数値を呈している。

 果たしてこれが絹の供給とどのような関係になっているのか、次回から紹介したい。

 まず、日本の呉服の市場はどのような状況なのだろうか。先に西陣の例を挙げたけれども、昭和50年から西陣の着物地が98.1%減と言うのは、最も減少率が高い物の一つだろう。中には100%減、即ち姿を消した織物や染物もあるはずなので、最悪とは言えないまでも最悪に近いアイテムの一つであることは間違いない。

 染物の素材になる縮緬についてはどうだろうか。上記の西陣の統計に合わせて昭和50年と平成26年を比べてみると、丹後織物工業組合の資料によれば、丹後における縮緬の生産反数は次の様である。

   昭和50年 7,337,443反

   平成26年   400,192反

 率にして5.5%、94.5%の減少である。因みに、平成29年は更に減少して294.451反。昭和50年に比べると4.05%、95.95%の減少である。

 私が京都にいたのは、昭和50年代後半。当時の呉服産業は、既に斜陽に差し掛かっていたが、それでも白生地の生産反数は今よりも10倍以上あったはずである。一度丹後の白生地屋に見学に行ったことがある。社長の自宅に招かれると、広い庭がある邸宅だった。その昔、昭和20年代後半に起こった「ガチャ万景気」を彷彿とさせるものだった。

 白生地や織物の生産が減っている背景には需要の減少がある。昭和50年代には2兆円と言われた呉服市場は現在3,000億円を切っている。それでもまだ7分の1である。需要の減少以上に白生地の生産反数は減っている。そこには、海外からの呉服素材の輸入が絡んでいる。

 呉服の素材、製品に外国製が参入してきたのは何時頃からだろうか。その引き金となったのは、中国の改革開放であるように思われる。

 中国の改革開放は昭和55年頃。丁度私が京都にいた時分、中国をはじめ海外から呉服の流入が始まっていた。

 中国刺繍の帯、「香港」「韓国」「マレーシア」等の印が押してある白生地。韓国の綴、中国で織られた帯等々。海外、特に東アジアの諸国と日本の経済格差、賃金格差を利用して安価な、または利幅の採れる海外の商品が日本の呉服業界に浸透し始めていた。

 「海外の製品」と言っても、その位置づけが難しい。何をもって日本製とするのか、〇〇国製とするのか、実は簡単ではない。

 どこの製品かを決定する定義として通商産業省(かつての)では、「製品を作る最終工程がその産地を決定する。」というのがあった。(今はどうか分からない)

 つまり、機械製品(パソコン等)では最終組み立てを行った国が原産国となる。部品がどこの国の物であっても最終的に組み立てて出荷する国が原産国と表示される。

 アメリカのインテル社のCPUが入っていても、部品が中国製であっても日本で組み立てれば日本製である。イギリス、ロールスロイス社のエンジンを搭載していても旅客機YS-11は日本製である。

 さて、きものの場合はどうなのか。

 着物制作の最終工程は仕立てである。通産省の定義に従えば、どこの国で染められた物、織られた物を使っていても仕立てが日本で行われれば日本製と言う事になる。しかし、これは一般に通用しそうもない。ことさら反物を卸し小売する場面では通用しない。

 しかし、通産省の定義を度返ししても、実は白生地がどこで作られたものなのかを判定するのは複雑で難しいのである。

 原料、製糸、製織、精錬、染織など着物を創る工程に海外からの参入が増えていることは否めない。まず原料の大元である繭に目を向けてみよう。

 かつて繭を作る(養蚕)のは全国各地で行われていた。江戸時代には中国から輸入する量の方が多かったが、本格的に増産されたのは明治以降である。

 明治政府は富国強兵のための殖産興業として富岡製糸場をはじめとして外貨獲得の手段として盛んに養蚕を奨励していた。私の家にも蔵があるが、その昔蚕を飼っていた蔵だと言う。また、私が小学校の頃まで山形にも養蚕試験場があった。国を挙げて全国各地で養蚕が行われていたのだろう。

 国の政策は功を奏し、1930年(昭和5年)にはピークとなり40万トン生産されたという。終戦後5万トンまで減少したが、その後12万トンまで回復している。1955年から1970年ごろまではその水準を維持しているが、その後更に減少し2014年の収繭量は僅か149トンである。1930年のピーク時に比べて0.04%である。

 生産される繭の量は、海外への輸出用に生産された時代とは異なり、内需とりわけ呉服の需要をそのまま反映しているわけではない。海外から大量の生糸絹糸が輸入され国内における需要供給の構図は全く変わってきている。

 海外からの絹の輸入はどうなっているのか。

 国内で生産される絹は減少するが、昭和40年頃から需要が増え、中国や韓国などの海外から絹が輸入され始める。ここ20年の絹の輸入先は中国、ブラジル、ベトナムであるが、生糸に限って言えば、ベトナムは殆どなく(生糸ではなく絹糸として輸入される)中国とブラジルの二か国がほとんどを占めている。輸入の総量は減っているが、相対的にブラジルが減少し中国が増えている。

 海外の絹の輸入は、ただ単に数量の確保の意味だけではない。国産との価格差はいかんともしがたいほど大きい。安い外国の絹が入ってきたことで国産の絹が駆逐されたのか、国産の絹の生産が減少したので海外から絹が入ってきたのか、ニワトリと卵の関係かもしれない。しかし、結果的に国際相場との余りにも大きな価格差は、日本の絹を追い込んでいった。

 日本の絹が高価なのは、蚕糸農家やそれに関わる産業が不当に儲けていたと言う事ではない。日本の絹の品質はどこの国でも真似ができないほど高い。その品質が評価されずに価格のみの評価で海外の絹に駆逐されていったと言うのが真相ではなかろうか。私は大変残念に思う。

 そうは言っても、現実に海外、中国やブラジルの絹が入ってきている。実態はどうなのだろうか。

 今回入手した資料によれば、2003年に比べた2014年の縮緬類(生糸を原料とする呉服の素材)の生産数量は16.5%、即ち83.5%の減少である。それに対して同じ年の比較で、中国からの生糸の輸入量は28.8%(71.2%減)、ブラジル産は15.5%(84.5%減)である。国内で生産される生糸は2003年には4,800俵あったものが2014年には僅か400俵、8.3%(91.7%減)である。

 日本の絹の需要が減る以上に日本の生糸の生産は減少し、その穴埋めに中国、ブラジルの生糸が入ってきている。そして、特に中国の生糸の割合が増えているのが分かる。

 中国産の生糸とブラジル産の生糸の輸入量は、2008年には2.64対1であったのが、2013年には、6.31対1になっている。数量から言えば、中国は横ばい、ブラジルが減少している。

 ここで疑問に思えるのは、中国やブラジルの生糸が果たして日本の生糸に取って代わることができるのかと言うことである。高品質の日本の生糸で織られた縮緬が、中国やブラジル産で織った場合どうなるのか。

 実は、正直言って直感できるほどの差は感じないかもしれない。既に相当数の海外の生糸、と言うよりもほとんどの縮緬が海外の生糸で織られている。生糸は海外であっても、製織、精錬を日本で行えば生地に「日本」の文字が押印されるので見た目には区別がつかない。知らず知らずのうちに海外の生糸は呉服地の多くを占めるようになっている。日本の絹が何時海外の絹に取って代わったのかは分からないまま海外の絹は国内に入り込んでいる。

 それでも、純日本製、即ち製繭、製糸、製織、精錬全てを国内で行った反物を触れてみると、サラサラとしたその感覚の違いに驚かされる。純国産の白生地をお客様に触ってもらうと、その違いに驚いていた。呉服業界自体が国産の縮緬の感覚を忘れ海外の生糸に慣らされていると言う事だろう。

 しかし、今更「日本の絹を」と叫んでみてもどうにもならない。日本の養蚕農家の数は1994年には19,040軒あったものが、2014年には僅か393軒である。パーセンテージにすれば2%である。

 今更国内で増産を叫んでもたかが知れている。そして価格的にはとても太刀打ちできない製品を増産して売れるかどうかも分からない。そう考えれば、国産品は超高級品として標本の如く存続させ、汎用の絹は全て海外品と言う事になって行くのだろう。

 しかし、これから先がまた問題である。海外からの絹はこの先安定して日本に供給されるのだろうか。

 ブラジルの繭、生糸の生産量は1993年1994年をピークとして減少している。それに合わせたように日本への輸出も減っている。中国は2007年をピークとして繭、生糸共に減少しているが、世界の生産量の70~80%を占めている。中国が世界のシルク生産センターと言っても過言出来ない。

 それでは中国の生糸は日本に今後とも安定供給されるのだろうか。

 これまでの経緯を見てみると、日本の絹は需要の減と価格の高騰によって生産数量が減少した。そこに価格的に安い海外の絹が入りそのシェアを広げてきた。それによって益々日本の絹は減少していった。

 絹全体の供給は、安定が保たれている様に見える。中国の絹が八割を占め、日本の需要に応えて安い絹を供給してきた。

 しかし、ここに来てそれが揺らいできている。ここ2~3年前から「絹が上がります」の声が聞こえてきている。中国の絹が上がってきているのである。

 中国の絹の生産量は頭打ちになってきてはいるが、世界の7~⒏割を生産していることに変わりはない。生産量の不足による値上がりではなく、中国国内事情による値上がりが起きている。

 一つには、中国における人件費の高騰である。
中国に進出した工場の従業員の人件費高騰の為、工場を日本に移す(戻す)と言ったニュースも聞かれる。今回入手した資料によると、1997年と比較して2012年の年平均賃金は、国有企業で7.24倍、集団企業で7.48倍、その他の企業で5.1倍である。2012年から今年2018年までは更に高騰しているだろう。賃金の高騰が絹の価格を押し上げている。

 もう一つは中国国内における需要の多様化である。

 改革開放の初期には外貨を稼ぐためにせっせと海外に絹を輸出していた。輸出するために絹を生産していたのだろう。しかし、今日輸出先も多様化してインド、ルーマニア、ベトナム、イタリア、韓国など中国にとっては売り先に困らない、いわば売り手市場になってきている。

 そして、中国国内では生活の向上と共に国内での絹の需要が増えているらしい。白生地屋さんの話だと、中国の生産者は生糸の生産から真綿の生産に切り替えていると言う。中国国内での真綿の需要が増えたために、生糸で日本に輸出するよりも国内に真綿で販売する方が利があると言う事らしい。そのおかげで、今年の生糸の価格は昨年の1.3倍になっている。

 輸入品の値上がりは生糸に限らない。
珈琲が値上がりしている。現地の人達も高級品を飲むようになったのが背景にある。お香が値上がりしている。現地の人が高価な香木を消費するようになったのが背景にある。

 日本はこれまで消費国としてそれらの原材料を生産国から輸入していたが、これからは同じ消費国目線での取引を余儀なくされる。

 世界の生糸の主導権を握った中国が日本に対して、これまでのような安定供給を続けるかどうかは分からない。

 かつて中国が政策的にレアメタルの輸出を絞り、一時日本の半導体業界を震撼させたことがあった。その時日本をはじめ世界の技術先進国では、技術力で他の素材への代替利用を進め乗り越え、かえって中国が打撃を被った。しかし、生糸の場合はそうはいかないだろう。化学繊維が絹糸に取って代わることはないだろうから。

 生糸の将来を、あれこれ考えても結局珈琲や香木と同じように、なるようにしかならないのだろう。しかし、それにつけても最高の品質を誇る日本の絹が、経済原則に押しつぶされ消えてしまうのはやるせないと思うのは私だけだろうか。

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