明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの春秋終論

Ⅵ.きものつれづれ 1.「中華そば屋」のような呉服屋

きもの春秋終論

 山形は統計上全国に誇れる?ものがいくつかある。二世代同居率がトップらしい。軽自動車の保有率がトップという話も聞いたことがある。いずれも都会ではないが故の現象と言えるかもしれない。

 他にはラーメンの消費量(一人当たり)が全国でトップだと言う。何も誇れることではないが、言われてみれば山形にはラーメン屋が実に多い。斯く言う私も月に何度ラーメンを食べるだろう。店の近くにも数軒ラーメン屋があり、周り順で食べている。

 名店と呼ばれるラーメン屋もあり昼時は行列ができている。私は時間が比較的自由なので、そういう店に食べに行く時には時間をずらして行くことにしている。

 ラーメン屋どうしの競争も激しいらしく、新しい店が出店したと思ったら、一方で退店する店もある。中には一年と持たずに店を閉めるラーメン屋もある。消費量が多いということは、それだけ競争が激しく生き残りが難しいのかもしれない。

 さて、そんな山形のラーメン屋に「四天王」と呼ばれる店がある。「四天王」と呼ばれるくらいなのだから、山形のラーメン屋ナンバー4なのだろう。しかし、この「山形の四天王」という言葉はマスコミ等では聞かない。(私が知らないだけかもしれないが。)人づてに、口コミで広がった言葉の様である。ある会議で仙台市出身の山形駅長さんから「山形のラーメンと言ったら四天王でしょう。」と言う話を聞いた。県外から来た人達にも「四天王」は有名で流布されているらしい。

 この「四天王」なるラーメン屋は、いわゆる「中華そば屋」である。最近のラーメンと言えば、味噌ラーメンや脂ぎったラーメン、辛味噌ラーメンなどが流行っている。いわば今風のラーメンである。息子が美味しいと言うラーメン屋も脂ぎった味の濃いラーメンである。そんな中で昔からある「中華そば屋」をもって「四天王」が語られている。

 昔はラーメンと言う言葉はなかったように思う。ラーメン屋という店はなく、そば屋で中華そばを出していた。当時の中華そばと言えば、薄いスープに縮れ麺、トッピングにシナ竹、鳴門、海苔が乗っている。出前の場合は、海苔に胡椒が乗っている。胡椒がいらない人への気遣いだったかもしれない。

 子供にとって中華そば一杯は量的に多かった。子供の頃、そば屋から出前してもらうこともあったが、お店で食べるのとは違って少々麺が伸びていた。そして、子供の私は食べるのに集中することなく、遊びながら食べていると麺は益々伸びて、食べても食べても麺が減らずに苦労したことを覚えている。そうは言っても我々の世代には「中華そば」は懐かしい味である。

 その「中華そば」が現代のラーメンの間で間違いなく支持を得て生き延びている。

 「四天王」と呼ばれる店は食べた事のある店もあったが、改めて女房と食べに行ってみた。昔ながらの「中華そば」の暖簾を掛けた店もあるが、ただの食堂もある。大きな目立つ看板も出ていないので、初めて行く人たちはつい見過ごしてしまう。地味な暖簾を目当てに何とか店にたどり着く。

 その店では中華そばがメインと言うわけではなく、定食物や丼物などがメニューに並んでいる。しかし、その店のお客様の注文は圧倒的に「中華そば」である。

 それらの店の店員さんは、店の主人と女将さんだったり、ごく普通の前掛けを掛けた店員さんである。はやりのラーメン屋のように、一風変わった井出達だったり、凝った前掛けを掛けているわけではない。店の造りもごく普通である。

 接客は大げさではないが、失礼ではない。はやりのラーメン屋のように大きな声で「いらっしゃいませ。」「へい、味噌一丁上がり。」という掛け声も聞かない。

 駐車場も十分ではないので、昼時になればすぐ満車になってしまう。それを承知で時間をずらして食べに来る人たちも多い。

 客は中華そばの味だけを頼って集まっている。

 私は、女房と中華そばを食べながら「うちの店もこの中華そば屋のような店になりたい」と思った。

 この中華そば屋は何を売っているのだろう。そして、食べに来る人は何を食べに来るのだろう。「食べたいものを売る」「欲しいものを売る」、それは需要と供給の原点であり商売の原点である。その中華そばを「あっさりし過ぎていやだ。」とか、「もっと味の濃い方が好きだ。」と言う人もいるだろう。しかし、「この店の中華そばが美味しい。」と言う人が間違いなくいる事は確かだし、それに応えて商売をしている。

 この店の主人は、「今風のラーメンを・・・。」とは考えていない。自分の作る昔からの中華そばを食べに来てくれる人がいる限り店を続け、中華そばを出し続けるだろう。大げさな宣伝もせずに、マスコミにも縁がない。客を呼ぶ手立ては、中華そばの味一つである。客が評価すれば客が集まり、客が「まずい」と思えば客の足は遠のく。

 極当たり前のことだが、現代の商売とりわけ呉服業界が忘れているものがそこにある。

 呉服屋とは本来どのような商売だったのだろうか。洋服がまだ普及しなかった当時は、普段着であれ晴れ着であれ着る物全て呉服屋で売っていた。もっとも当時は普段着を売る太物屋と晴れ着を扱う呉服屋は区別されていたが、今の洋服屋も同じである。高級ブティックとオバサンの普段の洋服を扱う洋服店があるようなものである。扱う商品は違っていても、反物を売り、誂え仕立てをして納める。また、仕立て替えや加工にも応じていた。

 お客様の着物に関するあらゆる要望に応えていたのが呉服屋である。どんな高級な着物でも、ちょっとした普段着でもお客様の些細な要望に応えるのが呉服屋である。しかし、現代の呉服屋はどれほどお客様の要望に応えているのだろうか。

 最近、仕立て替えを頼まれることが多くなった。初めてのお客様が風呂敷包みを抱えて来店される。そして、「仕立て替えをお願いしたいのですが。」と、恐る恐る聞いてくる。

「はい、お仕立て替えですね。承ります。」と言うと、「他で買ったものなのですがやっていただけますか。」とまた、恐る恐る聞いてくる。

 私の店では、どこで誂えた着物でも、どんなに古い着物でも承っている。中には古くて仕立て替えできない場合もあるし、尺が短かったり反物幅が狭かったりで寸法が採れない場合もあるが、その時は十分に説明してどのようにするか、お客様に判断してもらっている。

「誂えた店でしか仕立て替えしてもらえない。」と思っているのは、お客様の思い込みなのか、それともそういう呉服屋が多いからかどうかは分からないが、少なくとも着物のメンテナンスをどこに頼めばよいか困っている人は多いように思える。

 仕立て替えばかりではなく、染み抜きや丸洗いなども同じである。昔はそのような事で困ることはなかっただろう。

 最近は東京や九州からも加工の注文を頂戴するようになった。多いのは、母親のきものを仕立て返して娘の嫁入り道具にする為で、5~6枚まとめて送ってくる事もある。幸い今はインターネットという通信手段ががあるので、遠隔地であっても寸法等詳細について簡単に打ち合わせができる。

 仕立て替えのきものを持ってくる人同様に、仕立てをする人が来店される。「半纏の衿に使う黒い布はありますか。」「麻の裏襟ってありますか。」など、きものを仕立てるのに必要なパーツを求めに来店される人もいる。「黒八」「麻裏襟」など私の店では当然と思ってそろえているが、お客様は「あるんですか、よかった。」と言って買って帰られる。

 今の呉服屋は、きものを売ることに専念するあまり、仕立てに必要なパーツやそれに伴うサービスなどが欠けているように思える。聞けば八掛さえも置いていない呉服屋も多いという。

 八掛は袷のきものを仕立てる際には必需品である。しかし、小紋を袷で仕立てる際、八掛の色を合わせるには何枚もの八掛を用意しなければならない。七色の系統の八掛を十枚ずつ用意しようとすれば七十枚の在庫が必要となる。その在庫負担を嫌ってか、八掛の在庫を持とうとしない店が多いらしい。そういった店では八掛の色合わせはカタログで行って必要なものだけ注文するらしい。しかし、カタログの小さな色見本では中々ピンと来ない。

 私の店では八掛を十分に在庫しているつもりだけれども七十枚も置いていない。実は実際にお客様が選ばれる色は決まっていて、七十枚の内には絶対売れない色も多数ある。それらの色は長年八掛の在庫を持って商売をしていればわかることなのだけれども、カタログに頼っていてはその感覚は磨けないだろう。

 「黒八」「麻裏襟」「八掛」の他「別珍衿」「メリンス地」等、昔から呉服屋で扱ってきたものをいつでもお客様に提供できるようにしているが、それらの売り上げはそう大きなものではない。半纏の衿や袖口に使う黒八は一着分でせいぜい千円前後である。年間の売り上げにしても一万円もないかもしれない。しかし、それらはきものを仕立てる時、是非とも必要なものである。そして、きものを盆栽にせずに生活の必需品としてとらえた場合誰かが供給しなければならない。それは呉服屋の役目である。

 今、呉服業界では様々な商品が開発され創られている。展示会で大々的に喧伝され、売上を創っている。その一方で、昔からの呉服屋のサービスを求めている人の居場所がなくなってはいないだろうか。

 今風のラーメンに隠れて頑なに昔の味を守っている中華そば屋さんを見習いたいと思う。

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