明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの春秋終論

Ⅵ.きものつれづれ 4.成人式に思う(きものの将来)

きもの春秋終論

 今年も成人式が行われた。もともと成人の日は一月十五日と定められていたが、今は一月の第二月曜日になっている。山形市をはじめ、成人式は前日の日曜日に行う所も多い。日付を替えたのは連休に拘った為だろうが、昔人である私にとっては、毎年変わる成人の日はどうも落ち着かない。

 成人式と言えば女性は振袖である。男性の紋付姿も最近は増えてきたが、昔はそんなにいなかったように思う。私も成人式はスーツだった。学生だった私がスーツを着る機会はほとんどない。スーツを着るだけでも成人になったような気分になり緊張したように思う。

 考えてみれば、日本人なのだから女性は振袖、男性は紋付が当たり前のように今更思う。きものを着る機会がなくなっただけに、成人式では振袖や紋付を着てもらいたいのである。

 しかし、毎年成人式を見ているとこの振袖、紋付が変わってきている。これは、成人式だけではなく、きもの全体が変わってきているのだろうと思う。果たしてきものはこれからどうなってゆくのだろう。

 全国の成人式のニュースを見ていると、実に様々な衣装の若者がいる。髪型もそうだけれども、女性の中には丈の短い、いわばミニスカートのような振袖を着て、花魁のように肩まで出して着つけている人もいる。男性の中には、市川猿之助の衣装かと思える人や電飾を使った衣装の人までいる。ここまで行くと、着物というよりも舞台衣装、仮装行列の類になるが、それらを除いても振袖、紋付に対する若者の感覚は昔とは大きく違ってきている。

 振袖の柄は昔からの京友禅や加賀友禅、オーソドックスな絞りの振袖は姿を消しつつある。柄は伝統にこだわらず、洋花や斬新な柄をあしらっている。染は友禅とは異なりプリント系の物が多い。

帯の結び方は、これも伝統に拘らず、創作結びが多い。花のように結んだり、襞を幾重にも創ったりしている。呉服屋から見れば、傷まないのかと帯が可哀そうに思えるのだけれども、そんなことは関係がないらしい。

帯締、帯揚、半襟、伊達衿にも現代的な工夫が凝らされている。帯締や帯揚に大きな花を付けたり、ビーズの半襟やフリルのような伊達衿など。まことに自由な発想で振袖が演出されている。

 男性の紋付も多彩である。男性の紋付と言えば黒紋付と色紋付である。黒紋付は男性の第一礼装である。私はあらゆる式で着物を着る機会は多いけれども、黒紋付を着たのは自分の結婚式、父の葬式、息子の結婚式など数えるほどしかない。着る機会が少ないのなら黒紋付を作るのはもったいない、と思う人もいるかもしれないが、黒紋付に地味派手はない。大事に保管さえしていれば一生着れるのである。男性にとって黒紋付はステータスとして仕立てるべきであろう。

 さて、男性の色紋付は第二礼装とも言えるもので着る機会は多い。私が結婚式や葬式、またあらゆる祝い事に出席するときは色紋付を着ている。年間十回以上は着るだろう。それぐらい着ると特に袴が消耗する。若い時に初めに仕立てた袴はボロボロである。しかし、その後袴は仕立てたことがない。全て父や祖父の袴を着用している。

 色紋付は黒紋付と違って様々な色がある。若向きの物から地味な色まであるが、女性の色無地ほど色のバリエーションは多くない。紺系、茶系、グレー系が主でありいずれも沈んだ色である。私が若い頃に仕立てた色紋付は、かなり明るい紺系ではあるが還暦を迎えた今でも着て着れないことはない。

 男性が赤やピンク、黄色といった色紋付を着るのは芸能人の世界であった。テレビに出てくる落語家や芸能人が赤や黄色の紋付を着ていても何の違和感もない。しかし、市井の式で男性が赤や黄色の紋付を着る事はなかった。

 しかし、最近の成人式では、まるでテレビの画面から飛び出してきたのかと思えるような、色とりどりの紋付が登場する。白の紋付も最近見かける。白は「白装束」と呼ばれるように、日本では「死に装束」につながっていた。武士が切腹をするときには白装束である。

 結婚式で新郎は、黒紋付に白比翼、白半襟であったが、最近はそれに拘らず色紋付や白紋付を着る人が多い。結婚式で新郎が白の紋付で登場すると、私は違和感を越えておかしくなってくるのだが、多くの人は何の違和感もなく受け入れている。

 昔からの着方に縛られない着物が増えている。芸能界の影響が大きいのかもしれない。昔は自分の父や母、祖父や祖母が着物を着ているのを見て育ち、着物を着るしきたりを目で学んでいただろうけれども、現在父や母が着物を着るのを見たことがない人が多い、いやほとんどかもしれない。

 何時どんな時にどんな着物を着ればよいのかを見聞きせずに育った人にとっては、芸能界で見た衣装を着てみたいと思ってもしょうがない。貸衣装屋さんに並ぶ色とりどりの紋付を見て、「赤い紋付を着たい」「白の紋付で結婚式をしたい」と思っても何の不思議もない。伝統に縛られずに衣装は多種多様になっている。

 伝統に縛られないのは着物だけではない。洋服もその傾向は否めない。

 洋服についても昔とはだいぶ違ってきている。昔は結婚式と言えば男性は決まったように黒のスーツを着ていた。それ以外の人もいたけれども、それは極少数だった。それが西洋で正しいマナーなのかは疑問だが、日本ではずっとそういったしきたりだった。あるいは本場西洋から見ればずれていたかもしれないけれども、少なくとも晴れの場に合わせた洋服であることは間違いない。

 しかし、最近は結婚式に普段着に近い衣装で出席する人もいる。女性の場合も、以前は「礼装はスカート」と言う不文律があったように思うが、最近はパンツスーツも晴れの衣装として市民権を得ているように思える。

 衣装の自由化は晴れとケの境を緩やかに取り去っているようだ。この流れは、最近の人が無作法になったと受け止めるよりも、時代の流れと受け取らざるを得ない。

 昔の高等学校は制服があった。男性は決まったように学生服。公立高校ではほとんどが黒の学生服。学校によってボタンが違い、バッジと共にそれがその高校のステータスだった。私立高校では、紺やグレーの学生服もあった。また都会の私立高校ではモダンな学生服もあった。もう五十年も前の話である。

 私が高校に入る少し前に私の高校は制服が自由になっていた。県内では他の公立校に先駆けていた。しかし、自由と言ってもジーパンは禁止、色も控えめなものという制限があった。結果的に自由になったのは学生ズボンではなく市販のスラックスを履くぐらいだった。上着は九割がた学生服を着ていた。

 今は学生服を着る高校生がずっと減っている。服装の自由、伝統に縛られない衣装はこんなところにも表れている。

和洋を問わず、服装、衣装はこれまでのしきたりとは一線を画して、今後益々自由に着られるのかもしれない。

 紬やゆかたで結婚式に、と言うことにもなるかもしれない。訪問着はお洒落だと、普段に訪問着を着て歩く人も出るかもしれない。黒のきものはカッコがいいと喪服を着て歩く人もいるかもしれない。男性も赤や黄色の着物を着たり、演歌歌手のように染の訪問着を着る人も出かねない。

 誰がどんなきものを着ようとも、誰も止めることはできない。皆がそれを支持すれば、それまでの非常識は常識となる。これまでの着物の変遷もそのような民衆の好みのエネルギーに突き動かされてきたことも否めない。

 私が子供の頃、卒入式でお母さん方は制服のように黒の羽織を着ていたものだが最近はほとんどなくなった。それも時代の移り変わりとともに着物の着方が変わってきた証左と言える。それでもその変化は誰も違和感を感じずに、それまでのきもののしきたりの範疇内での変化だったように思う。

 しかし、昨今の状況を見るに、その変化の速度と向かおうとしているベクトルの方向があまりにも早く、そして無指向に向かっているように思える。

 きものの行く末が日本人の流れの総和として帰結点を求めているのかどうか疑問である。あるいは、何のしきたりもない、何時どんな時に何を着ても構わないような着物のしきたりを望んでいるのかもしれない。それも日本人の選択であれば、それが日本のきものの帰結点なのだろう。私の考えや好みがどうあろうと、それはどうしようもないことである。

 私にとっては、今までの着物のしきたりが崩れていくのは大変残念なことではあるけれども、それは逆に個人の好みでしかなくなるかもしれない。

 成人式でどんな着物が流行ろうと、きものではない衣装が主流を占めたとしても、誰かに聞かれれば、「昔からのきものはこうですよ。」と言える人が何人か残っていてもよいように思える。

 村の古老のように、誰かが日本の心を聞いてきたときには、それに応えられるような呉服屋でありたいと思う。

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