明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの春秋終論

Ⅵ.きものつれづれ 46 呉服屋コロナ騒動「日本経済はかくも脆弱か?」

きもの春秋終論

 大変申し訳ございません。コロナ対策に奔走して「ゆうきくんの言いたい放題」を二週間休んでしまいました。この間、私にとっても今までに経験したことがなかったようなことが起こっています。

 この度のコロナウイルスの騒動は世界中を巻き込む事態になっているはご存知の通りです。混乱は医療面のみならず経済的に大混乱をきたしています。

 昨年12月に中国武漢で発生したウイルスは次第に世界中に広がりを見せました。当初から「新型コロナウイルスが世界経済を混乱に陥れる」と言うコラムもあったのですが、それ程気にしてはいませんでした。1月に日本で最初の感染者が確認され、クルーズ船乗客の感染が報道され世間の関心を呼ぶようになりました。

 しかし、2月になっても私などはこれ程の騒動になるとは予想しては居りませんでした。予想しなかった、と言うよりも関心を持っていなかったと言う方が正解かもしれません。しかし、そういった感覚の甘さが今の事態を生んだものと私も反省しております。

 さて、当初某コラムニストが予想したように、今日日本経済、否世界経済は大混乱に陥っています。各国間の人的行き来はほとんど皆無となり、素材や製品も周らなくなっています。

 サプライチェーンが寸断され、「中国製便器が入荷しないので住宅が完成しない」と言う話はよく聞きます。このような事態に対して経済はとても脆弱であることは身にしみて感じているところです。この様なグローバルな経済に関しては、経済学者や評論家、政治家などが既に多くのコメントを発しておりますが、私がこの度感じた「日本経済の脆弱性」は、そのようなマクロな視点ではなく、日本経済の末端にいるものとして感じたことです。今までの価値観を一新するような経済を肌で感じさせられました。

 私の店も1月までは、ほぼ今までと同じような商いが続いていました。呉服屋の常で「売れた」「売れなかった」と一喜一憂しながらも振り返れば何となく売り上げが出来ていると言った具合です。

 しかし、2月に入り中旬になると目に見えた影響が出てきました。そして、3月に入ると今迄経験しなかった状況へと変わって行きました。

 売上が減少する、と言うのは我々呉服業界では慣れっこになっています。30年前に2兆円有った市場が2千億円足らずに縮小し、私の店の売上も当時の半分になってしまいました。しかし、それは30年掛けて徐々に減少したもので、その間店の行く末を考え、経費節減やコストダウン、体制の見直しなどあらゆる手を尽くして今日に至っています。

 しかし、今回売上の減少はたったの1ケ月で50%減、80%減と言う声が聞こえてきています。政府の施策で様々な補助金が草案されていますが、それらは売上30%減50%減が条件となっています。

 現実に中小企業に最大200万円を給付する「持続化補助金」は、わずか1週間で50万件の申請があったと言います。如何に経済が疲弊しているかを如実に語っています。

 さて、私の店の場合、3月に入ると街に人が出なくなり商店街は閑散となりました。周りの店舗も同じく客は激減し商店街には危機感がみなぎってきました。

 売上が3割減、5割減と言えば尋常ではありません。もしも、平常時に私の店だけが売上3割減、5割減になったとしたらパニックに陥ってしまいます。街には賑やかに人が歩き、他の店は繁盛しているとしたら、私は店を閉める事も考えるでしょう。

 しかし、おかしなもので、突然のパニックに際し「うちの店だけではないのだ」という気持ちが働くのでしょうか、意外に平静を保っていました。女房には「神様がくれた休暇だと思え」と訳の分からない慰めを言いつつ何となく半月を過ごしていました。

 世の中は益々異様な雰囲気になっていました。時折街を歩く人たちはマスクを付け、人とは接触しないように歩いています。何かパニック映画でも見ている気分でした。

 そんな時、友人がマスクを持ってやってきました。以前、私の店で買った手拭を素材にして創ったものでした。
「これお店に置いたら売れるんじゃない。」
巷ではマスク不足が盛んに報道されていました。その方は手芸の趣味があり、以前も一閑張の籠やしめ飾りなど、手芸品を持ち込んで店頭で販売したこともありました。

 私の店でマスクを売った経験もないし、売れるのかどうかも分かりませんが、とりあえず持ってきたマスクを数枚店頭に並べました。ところが、たまに店に入ってこられたお客様が目を付けて買って行きます。追加で制作を頼み、20枚程度並べるとたちまち売れていきました。他の商品が全く売れない中、「手作り手拭いマスクあります」の張り紙も功を奏した様でした。

 友人には、「売れるからもっと作って」とお願いしましたが、できるのは1日 10枚程度。それでも売上の足しになればと販売を続けていました。

 山形市では昨年から「山形市売上増進センター」(通称Y-biz、ワイビズ)を立ち上げて、中小企業の経営コンサルを行っています。私も昨年正月に設立されるや否や世話になり売上増進の相談をしていました。お願いしていたのは、ホームページの充実を図ることで、今ご覧いただいているHPはその成果です。

 月に一度のペースで相談に行くのですが、3月に伺った時、何気なくマスクの画像を見せ「これ売れるんですよ」と言うと、相談員の目つきが変わってきました。そして、
「これ行けますよ」
と言う事で、WEBの話はそっちのけでマスクの販売の話となりました。

 ・素材は店頭にある手拭で、柄は40種あること。
 ・縫製の品質は間がいない事
を話し、同時に
 ・量が確保できない
 ・40柄をMLサイズ展開で作るとすると膨大な在庫が必要になる
等の問題も同時に話しました。その相談員は、
「40柄から選べるのは大きなアドバンテージ」
「今マスクの需要はあり、量的には売れる」
「マスクの購買層は着物の購買層とは重ならず、より多くの人に結城屋をアピールできる。」
「ポストコロナを見据えても、結城屋さんの販売商品の一つとして扱えるでしょう」

それと同時に、
「マスコミ等で話題に載せれば必ずいけます」
と言う事だった。

 今、店では何も売れない。まして絹物は全く売れない。そして私はなすすべもなく時間を持て余している。
「それでは」と本気になってマスクの販売を掛かった。

 まず、最初の問題は生産体制である。現状では、1日に10枚程度。2~3日に一度2~30枚納品される。しばらくすると販売に拍車がかかり、一人で5~6枚買って行かれる方もいる。そして、「このサイズであの柄が欲しい」と注文する方も多くいらっしゃった。とても生産が間に合わない。

 そこで最初にお願いしたのが、引退した和裁の仕立士である。技術は十分である。「結城屋のマスク」として販売して余りある。なんとかお願いして縫製してもらう事になった。しかし、引退して高齢のこともあり、やはり一日7~8枚が限度。山形市内ではなく遠隔地に住まいしており、数日に一度完成品を取りに行く。

 まだまだ生産量が足りないので、縫製経験のある人を探し回った。その結果、以前縫製工場で働いていた方、そして取引先のメーカーを通じて経験のある方を紹介した貰った。これで商品供給のサプライチェーンはできたけれども、それでもまだ生産が追い付かない。

 そこで縫製士には、縫製に専念してもらい、裁断は私がすることにした。私が型紙で裁断した材料を持ち込み縫製してもらう。完成品を持ち帰り、紐を通して袋詰めすると言う工程が出来上がった。

一度に持ち込む材料は30~50枚。裏地を合わせると60~100枚裁断しなければならない。朝は5時半から、夜は10時半まで裁断して、次の日に納品回収に行く。そんな日が続いた。もちろん昼間は、お客さんの数が少ないとはいえ店にいなくてはならない。

 さて、何とか軌道に乗ったものの、その間様々な問題にぶち当たった。

 最初は、「マスク用の紐」が手に入らない。マスクの紐など何時でも手に入ると思っていた。しかし、手芸屋さんにいっても「マスクの紐はありません」ばかりだった。

 「〇月〇日に入荷します。」と言う情報を掴んで、朝早く開店前の手芸屋さんに行って並んだ。しかし、「5mの紐を一人2本まで」の制限があった。女房と2人で言って並んだ。その次の時には知人を連れて一緒に並んでもらったりもした。

 しかし、それだけでは到底足りない。インターネットで注文したが、納品は数週間先だった。他のページも探しまくって、何とか入手する事ができた。しかし私には、
「なんでマスクの紐が手に入らないのか。需要が増えているのは分かるが、それだけ生産できないのか。」
と言う思いがあった。

 さて、次は思わぬものが手に入らなかった。
「製品として売るには、パッケージを吟味した方が良いですよ。」
と言うアドバイスに従って、ビニールの袋を購入した。試しに一袋100枚を購入してみたが、やはりパッケージによって製品の印象が違う。
「これで行こう」
そう思って、追加500枚を注文した。しかし、今度は品切れだと言う。取り寄せてもらおうとしたが、「メーカーにもないので納品は先になります。」と言う返事だった。

 とりあえず代わりの袋、(形、幅は同じで長さが長い)を買って入荷するまでしのいだ。
「なんでビニールの袋が手に入らないの?」
そう言う思いだったが、店の人の話では、
「全国でマスクを入れる為に注文が殺到しています。」

 そのメーカーは、大きさや形などを変え、おそらく数百種類、あるいはもっと多くのビニール袋を生産している。それだけに、そのような大きなメーカーがたった一枚のビニール袋の在庫が底をつくといったことがあるのだろうか、と思った。

 しかし、品薄は、それだけに留まらなかった。

 順調にマスクが出来上がり、当初生産が追い付かずにお客様にご迷惑をお掛けしたが、何とか販売に見合うマスクを作る事ができた。すると、縫製士から次のような話が有った。
「結城屋さんで糸は入りませんか。近くの手芸屋さんでは糸が手に入らないんです。」
糸、とはミシン用の糸である。50番手綿の白糸という指定なのだが、実は私は糸については余り詳しくない。
「糸などどこでも手に入るだろう」
と言う気持ちで近くの手芸屋さんに行ったがやはり品薄である。

 幸い二つあったのでそれを確保したが、次はいつ入るのかと聞くと、分からないと言う。そして、
「これではだめですか」
と他の糸を見せてくれるけれども、私は詳しく分からないので返答のしようがない。縫製士に指定されたのは「50番手の綿の白糸」である。ポリエステルの糸は有るらしいが、果たしてそれでいいのか分からない。

 とりあえず二つ買って縫製士に渡した。「これで、しばらくは間に合います」との事だったが、今度は他の縫製士からも同じような相談があった。本当に白糸は手に入らないらしい。

 糸がなければ縫製はできない。従ってマスクはできない。コロナのお陰で何も売れない中で、何とかマスクを売ってしのいでいる当社にとっては死活問題、いや既に死活問題なのだけれども、死活問題にとどめを刺されてしまう。

 インターネットで探しても、やはり見つからない。取引先に聞いたけれども「糸」と言うのは私の属する「いとへん」業界ではあるけれども、全くの範疇違いでツテは見つからない。

 私の兄が繊維商社に勤めていたことから、何とかツテはないかと探してもらったが、やはり手に入らない。大手で使うのはポリエステル糸なので綿糸はないと言う。更に、工場で使うミシンは工業用ミシンで糸巻きのボビンが巨大で家庭用には合わないと言う。

 結局、私の家に有った使いさしの糸や、手芸屋で手に入れた大きなボビンの糸を巻きなおしたりして何とか対応した。やはり専門ではない分野で商売をしようとすると、分からない事が沢山有るものだと感じさせられた。

「マスクの紐」「ビニール袋」「ミシン糸」いずれも私にとっては、
「どうしてそんな物が手に入らないの。」
と思えるものだった。しかし、更にこんな話も聞こえてきた。

 ある藍染作家さんが藍染のマスクを持ち込んできた。少々高価だけれども売れていた。その作家さんが言うには
「ミシンの針が手に入らない」
と言うのである。

 その作家さんが創るマスクはプリーツマスクである。両側にミシンを掛けると、ギャザーの上でミシンの針に負荷がかかり、針が折れやすいと言う。私は良く分からないが、ミシン針も様々あるらしく、それに適した針が品薄で手に入らないらしい。

 「マスクの紐」「ビニール袋」「ミシン糸」に加えて「ミシン針」、それらが手に入らない事があろうとは思ってもみなかった。

 私は昭和31年の生まれである。幼少期は昭和30年代。昭和30年代と言えば、日本は高度成長期だった。子供心に高度成長期と言う意識はもちろんなかったが、今思えば、身の回りは確かに日に日に豊かに成っていた。「豊かに成っていた」とは言っても、現代とは比べるべくもなく、今の感覚で言えば「とても貧しい」。しかし、私も含め当時の人は、そうは思っていなかっただろう。

 今では当たり前の自動車は、とても珍しかった。道路で遊び、時たま車がやって来ると端によってやり過ごし、また道路で遊んでいた。小学校のクラスで車がある家庭はせいぜい一人か二人。皆、大きな商売をしている家だった。

 ジュースやサイダーなど、子供が喜ぶいわゆる清涼飲料水やバナナはお祭りの時しか味わえなかった。今では皆コンビニで日常的に買って飲んでいるけれども、サイダーやジュースを飲めるのは、お祭りや友達の誕生会に呼ばれた時だけだった。

 それでも日に日に身の回りの消費財は増えて行った。デパートのおもちゃ売り場に行けば、欲しいおもちゃが山積みされていた。レーシングカーやトランシーバーなどの当時で言えばハイテクのおもちゃも並んではいたが、私は見るだけだった。

 おもちゃに限らず、子供の私には欲しい物が周りにどんどん増えて行った。
「欲しい物はあるけれども、私の手には入らない。」
子供の率直な世界観だった。
「物はある。しかし、私の手には入らない。それは、私がお金を持っていないから。」
そう思っていたのは、私だけではないだろう。しかし、逆に考えれば、
「お金があれば何でも手に入る。」
そういう価値観も一方で芽生えていたかもしれない。もっと経済学的?に言えば、
「世の中、商品の供給は十分にある。しかし、それが手に入らないのは、対価としての貨幣を持たぬからである。」
私は金を持たない者として、それは十分に承知している。

 貨幣があるのに欲しい物が手に入らない、と言う経験はほとんどない。稀にヒット商品がでると、〇ケ月待ちと言う事はある。素晴らしい車が発表されると、
「あの車、納車5カ月待ちだって。」
と言う話も聞くがそうそうある話ではない。もっとも私にはそういう車は縁がないけれども。

 消費財ばかりでなく、京都に仕入れに行くと欲しい商品が沢山ある。今時、昔に比べれば、商品の数は激減しているが、それでも問屋を丹念に回ると欲しい着物や帯が眼前に次々と現れる。

 気に入った素晴らしい訪問着を前に問屋さんが、
「結城屋さん、そんなに気に入ったのでしたらここまでしましょう。」
と算盤を弾かれると、つい欲しくなってしまう。しかし、
「いや、欲しい事は欲しいけれど、支払いを考えると・・・。」
と手が引っ込んでしまう。もしも、十分な資金があれば、「あの着物も、この帯も」と言いたくなるのだが、欲しい商品は有っても、買う資金がない。つまり商品が手に入らないのは、問屋さん側に問題があるのではなく、ひとえに私の資金不足によるものである。

「商品は十分にあり、資金があればいつでも供給される。」
そう言った価値観から見れば、この度のコロナ騒動、マスク騒動は、私にとって意外な展開だった。
「マスクの紐が手に入らない」「ビニール袋が手に入らない」「ミシン糸が手に入らない」「ミシン針が手に入らない」
いずれの商品も、私の目には「たかが」と思える商品である。
(「たかが」と言うのは、誤解を招きやすいが、その商品、その業界を卑下するものではなく、複雑な制作工程をいくつも経て作られるものではない物であろうと思われる、と言う意味である)

 一度に需要が高まり品薄となった、と言うのは分かるけれども、何故そんなに長く品切れが続くのだろう。商売をする者から見れば、「市場が求めているのだから、もっとどんどん生産すればよい」と思える。しかし、一向にマスクの紐は出回らない。

 海外とのサプライチェーンが断ち切られ、部品が入らず車が造れない。便器が中国から入らずに住宅が完成しない、と言うような話は新聞等で報道された。それはそれでうなずける。

 一次製品に近いように思える紐や糸が簡単に増産できない。それほど日本の経済は脆弱なのだろうかと思ってしまった。しかし、考えて見れば、マスクを取って見ても尋常ではない需要の伸びである。

 普段マスクを使用するのは、風邪をひいた時、病院を訪れる時など極限られている。街を歩いてマスクをしている人の数はどれだけいるだろう。ほとんど皆無といって良い。しかし、今街を歩けばほとんどの人がマスクをしている。マスクをしない人を探す方が難しい。マスクの需要は数十倍、数百倍、あるいはそれ以上増えたのかもしれない。当初のマスク不足は、言及するまでもなく入手が困難でさえあった。

 長年私の頭にあった
「お金があれば何でも手に入る。」
と言う価値観は見事に崩れ去った。
「お金があれば何でも手に入る。」
のは、あくまでも経済が安定している時である。その安定がいま崩れている。

 日本経済の、と言うよりも資本主義経済の脆弱性は、急激な変化に対して対処できない事である。思ってもみないマスクの需要に供給は全く追い付かなくなった。

 新型コロナによる生活の急激な変化で、飲食業、観光業をはじめ、あらゆる産業が麻痺状態に陥っている。これまでは、目先の売上が増えた減ったと一喜一憂してきたが、今思えば、それらは懐かしく、何と安泰な日々を送っていたのかとも思う。

 考えて見れば、今回のコロナ騒動で混乱した経済は、取り立てて「日本経済の脆弱性」とは決めつけられないようだ。より豊かな生活を求めて積み上げてきた経済が次第に複雑になり、その脆弱性が一気に噴き出したような気がする。

 巷に並ぶ商品は、多種多様を極め、消費者の好みに合わせて更に進化して行く。そして、それを創る為に生産工程は複雑化し、材料の調達も多岐にわたっている。生産や材料の調達先は国境を越え、世界中に広がっている。

 身近な商品を見ても、原材料の思わぬ原産地、思わぬ生産地が表示されている。地球の反対側で生産された材料で隣の国が生産し日本で袋詰めしている例も少なくない。それは、決して悪い事ではないが、このようなグローバル化した経済がこの度のような騒動で一気にその脆弱性を露呈している。

 「トランプタワー」と言うゲーム(遊び)がある。「トランプタワー」と言うのは、かのアメリカ合衆国第45代大統領ドナルドトランプがニューヨークマンハッタンに建てた金ぴかのビルディングではなくて、カードのトランプを三角形に何弾も積み上げるゲームである。

 慎重に5段も6段も積み上げるのは至難の業だけれども、100段以上の記録もあると言う。造った人はさぞご満悦だろうけれども、出来上がったトランプタワーの1枚でも抜かれれば、たちまちにタワーは崩壊してしまう。

 私は、つい現在の経済状況とトランプタワーを重ね合わせてしまった。日本の経済は何段にも積み上げられたトランプタワーの様に素晴らしい体裁を整えてはいるが、ちょっとした思わぬ横波を受ければたちまちに崩れてしまう。

 国際的なサプライチェーンが1カ所でも断ち切られると大きな影響がある。突然の事態に特定の商品の急拡大した需要(マスクの需要は半年前の何倍、いや何十倍、何百倍になったのだろう)は、市場を混乱に陥れる。

 さて、振り返って呉服業界を見ると、同じような事が言える。

 かつては「輸出羽二重」と言う言葉通り、絹の生産は日本のお家芸だったが、現在絹糸のほとんどは海外からの輸入品である。大手呉服屋の多くが仕立てを海外に頼っていると言う。

 日本をターゲットに生産してきた中国の絹糸は、需要の変化を捉えて国内やヨーロッパへとその売り先を変えている。  先細りする呉服業界ではあるが、小さいながらトランプタワーは確実に積み上げられ、その崩壊の危機も併せて積み上げられている様に思う。

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