明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの春秋終論

Ⅵ.きものつれづれ 23.呉服業界分析

きもの春秋終論

「かつて2兆円あった呉服業界の規模は3000億円を下回ってしまった。」とは幾度か書いてきた。七分の一以下になってしまった呉服業界だけれども、実際どのような状態なのだろうか。

「店の売り上げが七分の一になってしまった」と言えば大事である。大事を通り越して普通なら倒産、廃業になってしまうだろう。呉服業界は大変な状態になったと誰しも思う。では、現在の呉服業界は、日本の経済の中において、どのような位置を占めて、どのような状態なのだろうか。

 業界別の売上を見てみると、日本の花形産業である自動車業界の規模は68兆円である。続いて、家電業界が67兆円、情報通信が45兆円、建設16兆円、鉄鋼15兆円という数字が並んでいる。呉服業界の隣にあるアパレル業界は5兆3,750億円である。日本の衣装である呉服が3,000億円。西洋の衣装である洋服がその18倍である。

 日本の衣装が西洋の衣装に完全に駆逐されている、と言った少々右寄りの意見が聞こえそうだけれども、現代の生活様式が西洋化したことは否めない。この数字は真摯に受け止めなければならない。それにしてもいくら30年前でも、呉服業界は2兆円あったと言う数字の方が驚かされる。アパレルとの差がそれ程開いていなかったのはどういうことなのかと不思議に思われる数字である。

 もっと細かく業界を見てみると、百貨店は7兆7,511億円、出版業界は1兆1,112億円、映画業界が7,377億円である。更に、呉服業界と肩を並べそうな業界では、靴が5,600億円、スポーツ用品が5,209億円、ジュエリーが3,144億円、メガネが1.265億円である。

 この辺まで来ると、呉服業界の3,000億円弱という数字はそれ程見劣りはしない。靴やスポーツ用品、ジュエリー、メガネと言った商品は数字の浮き沈みはそれ程大きくないように思える。

 靴は洋服を着る以上必ず履くものである。メーカーによっては浮き沈みもあるだろうけれども、全体として急激に増えたり減ったりはしそうにない。

 スポーツ用品も、新しいスポーツが次々に現れ、それに対応した商品が創られている。人口が激減しない限り総量はそれ程変わらないように思える。

 そうしてみると、かつての呉服業界2兆円は益々奇異に思えてくる。

 ジュエリー業界は決してマイナーな業界とは受け止められていない。それは商品に対する印象がそうさせるのかもしれないが、世界中で商いされている言わば全世界のジュエリー業界の一部として機能している日本のジュエリー業界である。

 メガネ業界も決してマイナーな業界ではない。メガネ屋さんはどこの街にもある。生活必需品を売る店として市民権を得ている。

 果たして呉服業界の3,000億円という規模は現況では適切且つ健全な数字なのだろうか。私は決してそうは思わない。

 健全な経済、健全な流通とはどのようなものだろうか。

 流通は需要と供給によって支配される。需要があればそれに供給が伴う。品不足であれば生産を増やし、その逆であれば在庫はだぶつく。人々が欲しいと思うものを創れば商品は売れ、欲しくない物を造れば誰も買ってはくれない。

 どちらにしても、需要と供給の齟齬は、アダムスミスの言葉を借りれば「見えざる神の手」が是正してくれるはずである。

 しかし、現実の経済では、それに違う事は良く見かける。

 ここ数年イカの不漁が続いている。イカと言えばそれ程高級な食材ではないけれども、最近は高値が続いている。寿司屋に行ってもイカない時も多い。イカを食べたいと言う人がいてもイカが入荷しない。

 随分前の話であるが、サンマが獲れすぎたことがあった。その結果、サンマの価格が暴落した。需要よりも供給が大幅に上回ったのである。

 また、平成米騒動と言うのもあった。米が不作で緊急に外米を輸入していた。当時、店にやってきた問屋の出張員が、「反物を売るよりも、山形で米を買っていった方が儲かりますよ。」と冗談を言っていた。

 これらは、需要と供給の齟齬が是正されない例だけれども、いずれも自然相手の供給である。自然相手の商売(生産)は人間の力の及ぶ範囲ではないので仕方がない。

 中国が改革開放の波によって鉄鋼を増産した。その結果、大量の在庫が積み上げられ、世界の鉄鋼市場に多大な悪影響を与えた。中国が需要を無視して鉄鋼を増産したのである。これは、中国が長年社会主義と言う「見えざる神の手」の届かぬ幕の外にいたための弊害であっただろう。需要の伴わない大増産は、まともな自由主義圏では起こり得なかったことだろう。

 さて、わが国ではどうだろうか。供給過多が随所で見受けられる。

 大量に捨てられる食品。そこには賞味期限と言う人為的なごみ捨て基準によるものもあるが、食べ残しの類も多い。次々に買い換えられ廃棄されるパソコンや携帯電話。しかし、これは技術革新のたまものとも言えるし、食品の廃棄も供給過多とは言えないかもしれない。

 さて、呉服業界はと言うと、供給されたものが正しく消費されているのだろうか。

 着物が消費されるというのは、着物を着る事、帯を締める事である。「結婚式で着る」「お洒落に着て歩きたい」、これらは需要の欲求を伴う健全な需要と言える。私の店にやって来るお客様は、「結婚式に出るので」「子供の七五三の時に着るので」「小紋を一着欲しいので」と、動機をもって着物を買いに来る。

 呉服業界の需要3,000億円がこのような動機に支えられているのであれば健全な業界と言える。しかし、3,000億円のうち、果たしてどれだけ健全な需要があるのか疑問に思う。

「Ⅶ-ⅺ 再度、着物の価値について」で記したような、着もしない着物を大量に買う(買わせられる)と言う例が後を絶たない。あの手この手の販売方法で、需要の伴わない供給(販売)がこの業界では成されている。

 どんな業界にせよ、健全な需要を追ってこそ健全な業界として将来が開けると思えるのだが、呉服業界の本当の規模は一体どのくらいなのだろう。考えると夜も眠れなくなるのである。

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