明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの春秋終論

Ⅵ.きものつれづれ 14.呉服専門店の役割

きもの春秋終論

「はれのひ」は振袖業界の振袖屋である。呉服の中で振袖に特化して販売、レンタルをして商いをしている。呉服屋は呉服一般全てを扱う専門店である。この事件を通して、呉服専門店とは何か、呉服専門店の役割は何かを考えさせられる。

 先日、休みの日に女房と郊外のショッピングセンターに行って来た。ショッピングセンターには色々な店がある。衣料品所謂ブティックから食料品、雑貨、楽器店等。もちろん書店も入っている。


 女房が洋服を見ている間、向かいにあった書店に入った。実は探している本があった。その本を探して書棚を見て回った。探している本は岩波文庫。通常の書店であれば各出版社の文庫本がひしめき合って並んでいる。〇〇文庫、〇〇新書の並ぶ書棚を見て回ったが、岩波文庫の書棚がない。店員さんに聞いてみた。
「岩波文庫はどこですか?」
しかし、応えは、
「岩波文庫は扱っておりません。」

 街なかの書店では小さい書棚であっても岩波文庫はありそうなものだけれども、書棚はなく一冊も置いていない。その書店は文庫本を並べるのに十分な広さがあった。

 仕方がないので女房の用事が終わるまで店内を見て回った。大きく書棚を占めているのはマンガ本だった。そして実用本や娯楽本が書棚を埋めていた。

「成る程、この書店の客層、売れ筋本に合わせて本を並べているんだ。」

そう思うと納得できる。ショッピングセンターの書店で哲学や歴史、思想、古典の本は売れ筋ではないのだろう。

 後日、別のショッピングセンターへ行った時も同じだった。岩波文庫はなく、品揃えも前のショッピングセンターと同じだった。

「売れる商品を品ぞろえして、売れる物を売る。」
これは商売の鉄則である。ショッピングセンターに出店する書店は、十分な経験とマーケティングが行われているのだろう。ショッピングセンター出店は過酷な条件が付される。ぎりぎりまでに売り上げを伸ばし、利益を確保しなければならない。その為に品揃えは売れ筋に特化するのは自然の流れである。

 しかし、どうも私には合点が行かない。以前、街の本屋さんから聞いた話である。昔、本屋さんは沢山あった。私の店の周りには本屋が六軒あった。しかし、今は淘汰され、残っているのは一番大きな本屋さんが一軒だけである。

 そして、その本屋さんの話では、年々売上が下がっていると言う。様々な原因が考えられるが、以前コンビニエンスストアーで盛んに本が売られていた。新聞、週刊誌はもちろん、ベストセラーの本が並べられていたことがあった。

 芥川賞や直木賞を受賞した本は本屋の店頭に高く平積みにされ飛ぶように売れる。コンビニでは、そのような売れると分かっている本を種類は少ないが並べていた。芥川賞や直木賞の本と言えども全国で売れる数は決まっている。コンビニで売られた分、在来の本屋の売れ数は減少する。一通り売れてしまうと売れなくなるのでコンビニではもうその本は売り場から姿を消す。

 そこで本屋さんの愚痴とも文句とも言える言葉が登場する。

 専門の本屋では、売れ行きが落ちた本も置かなくてはならない。普通の人が誰も目に留めないような専門書も並べなくてはならない。大きな本屋に行けば棚がずらりと並び、図書館のように項目ごとに本が並べられている。

 何千冊、何万冊並べられているのか分からないが、売り上げの大きな部分を占めるのが話題の本、ベストセラーである。専門書もベストセラーも販売しながら売上を確保している。しかし、売り上げの大きな部分、すなわちその時々の売れ筋の本をコンビニが扱う為に売り上げが減っているというのだ。

 反対の見方をすれば、コンビニは実に巧い商売をしたものだ。本屋の一番美味しいところだけを商売にして利益を上げている。

 本屋曰く、
「我々は専門書や極一部の人達が読む本も揃えて、万人の為の商売をしているのだけれども、美味しいところだけ持って行かれては・・・・。」 

 そのコンビニも最近は本の販売が急速に萎んでいると言う。インターネット販売に押されて、それほど美味しい商売ではなくなったと言う事だろうか。

 さて、専門性を売りにしていた従来の専門店の問題として、この本屋が抱える問題と同じような問題が呉服業界にもある。

 振袖の販売が呉服業界から離れて、振袖屋が大きな位置を占めてきている。

 前項でも書いたように、振袖はターゲットを絞りやすく、金額も張ることから、やり方によっては、美味しい商売と言える。

 売れる物に特化して売る。儲かる商品に特化して売る。そういった傾向は益々拡大するだろう。その中で専門店の役割は何かと考えさせられる。

 巷の店では、沢山売れる物が店頭に並べられる。かつて専門店は、消費者が必要とするであろう商品を全て並べていた。中には、極専門的なもので、年間数個しか売れない物も置いていた。

 私の店で袴を仕立てる時、袴止(腰板に付けるヘラ状の物)を手芸屋さんに買いに行く。何時行っても、同じ場所に同じ箱に入って置いてある。店の人に年間何枚位売れるのかと聞くと、ほとんど私が買って行くだけだと言っていた。私の店の為に袴止を在庫していてくれるようなものだ。

 専門店はそういうものだったが、最近はその役割もなくなってきた。

 インターネットの登場により、どんな専門的な商品でも検索すれば探し出せて注文ができる。店を周って商品を探す必要もない。

 してみると、大量に売れる商品を特化して売る店が現れ、専門的な商品はインターネットで手に入れることができる。

 先の本屋を例にとれば、週刊誌はコンビニで買い、専門書または販売部数の少ない本はインターネットで購入する。そうなれば、既存の本屋は何を売ったらよいのだろうか。販売が0にはならないが、採算の採れない店が続出してくるだろう。

 本屋のみならず、流通業界は日に日に進化している。専門店が世の中から消えてゆくのも時代の流れかもしれない。

 しかし、私は専門店として最後まで残りたいと思う。如何に専門店が日陰に置かれようとも、専門店の役割は間違いなくあると思うからである。

 魚屋さんが新鮮な魚を目利きしてくれる。ブティックで洋服をコーディネートしてくれる。紙屋さんが慶弔時に合わせて使うべき熨斗紙を教えてくれる。米屋さんが同じ品種でも誰が栽培した米が美味しいのかを教えてくれる。

 流通が発達して、物が簡単に買えるようになっても、専門店の役割は厳然として存在する。そして、それを求めている消費者がいる限り、専門店の役割はなくならない。

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