明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの春秋終論

Ⅵ.きものつれづれ 9.染帯の怪(塩瀬帯の消滅)

きもの春秋終論

 前節でも書いたように、今呉服業界では、良い商品を入手するのが難しくなっている。昔から商品は問屋から仕入れたものだが、問屋には商品がない。今の問屋の多くは、必要な時だけ染屋織屋(メーカー)から借りてきて商品を並べている。問屋を周っても欲しい商品はなかなか無いし、注文してメーカーから取ってもらっても良い商品にはお目に掛からない。そういう訳で、最近は染屋織屋(メーカー)まで足を延ばして仕入れをしている。

 メーカーで創る商品は限られているので、一軒のメーカーで色々な商品を仕入れることはできないので、何軒も染屋織屋を周って仕入れをすることになる。大変手間がかかるけれども、商売には替えられない。産地に出向いて商品を仕入れることが多くなった。

 先日も私がひいきにしている染屋に足を延ばして仕入れに行ってきた。

 その染屋は品質を落とさずに頑なに良い染物を創っている。振袖から染帯まであり、価格も常識的である。振袖も欲しいと思ったけれども生憎振袖は出払って2~3枚しかなかった。代わりに染帯があったので見せてもらった。

「染帯」と言っても、どんな帯なのかは意外と分かりづらいかもしれない。「染帯」とは文字通り「染めた帯」である。「染めた帯」でない帯は「織った帯」である。ここで言う「染め」とは「後染」、すなわち白生地に柄を染めたものである。「織った」とは、糸の段階で色を染めて織ったものを指している。(「きもの講座4.染と織について」参照)

 さて、「染帯」と言っても種類は様々である。帯の形式から言えば、九寸名古屋帯が圧倒的に多い。八寸名古屋帯もいくらかあるし袋帯も稀に創られている。

 その染屋で創られているのも九寸名古屋帯である。しかし、同じ九寸名古屋帯でも素材によってまた色々な種類がある。

 九寸名古屋帯に使われる素材としては、紬、縮緬、塩瀬などがある。それぞれ用途は違っている。紬染帯は紬の白生地に柄を染めたものでカジュアルである。縮緬の染帯はシボがあるために塩瀬の方がフォーマルとされている。


 塩瀬の帯は、デュークエイセスの「女一人」と言う歌の歌詞に
「結城に塩瀬の素描の帯が・・・」
と詠われているように染帯の代表格でもある。「塩瀬」と言うのは「塩瀬羽二重」と言う生地を指す言葉で、塩瀬は染帯や男性の紋付に用いられる生地である。しかし、業界で「塩瀬」と言えば十中八九「塩瀬の染帯」を意味している。それ程塩瀬の染帯は染帯の中でも中核を成している。

 さて、その染屋で染帯を見せてもらった。5~60本位あっただろうか。丸巻きの染帯を畳の上に流して行く。しかし、その9割が紬の染帯だった。

 私は塩瀬の染帯が欲しかった。塩瀬は紬の着物にも合わせられるし、小紋や色無地にも合わせられる。色無地を着る際には、織帯と塩瀬を使いこなせば幅広く着用することができる。以前は京都でも沢山染められていたが最近はあまり見なくなった。安価な塩瀬はとても重宝したが、最近見かけるのは高価な工芸帯が多い。その染屋で染められていた塩瀬の染帯がある事を期待してきたが期待外れに終わった。

 私の店に限って言えば、染帯の需要の中では塩瀬が多い。次に縮緬である。そして紬の染帯は締める着物が限定される為に塩瀬や縮緬に比べてはるかに少ない。紬の染帯は色無地には締めないし、小紋も限定され主に紬に限られてしまう。染屋とて同じはずである。少なくとも塩瀬は紬と同数あるいはそれ以上染めても良さそうである。主人に聞いてみると、塩瀬は染めていないという。
 私は染屋の主人に聞いた。
「何故、塩瀬は染めないのですか。塩瀬の方が売れるでしょう。」
その問いへの主人の答えは驚くべきものだった。

「以前は塩瀬も染めていたのですが、最近はやめました。展示会に出すとどうしようもないんです

 主人の話によると、展示会に塩瀬の帯を貸すと帯がボロボロになって帰ってくるという。

 塩瀬は羽二重の一種で太い緯糸を使い緻密で地厚な平織の生地です。縮緬と違って糸に撚りを掛けていませんので、堅くてしっかりとした生地です。表面もツルッとしています。染帯には適しているのですが、反面折れに弱いのと汚れに弱い性質があります。

 縮緬や紬地は柔らかいので折れ(シワ)には鷹揚ですが、堅い塩瀬の生地はシワに対して脆弱で、シワができるとなかなか元に戻りません。表面がツルッとしているだけに汚れが付きやすく、また目立ちやすいので取り扱いには注意が必要です。

 私も京都にいた時分、問屋の先輩に塩瀬の帯、特に白の帯の扱い方はよく注意されました。生地が折れないように、むやみに擦り付けたり汚れた手で触らないようにと。

 私は、染屋の主人が言う「展示会に出すとどうしようもないんです。」の意味は直ぐに呑み込めました。腫物を触るように扱わなければならない塩瀬の帯がぞんざいに扱われたらどうなるかは容易に想像できたからです。

 今の呉服の展示会で着物の事を理解している人がどれだけいるでしょうか。客を展示会に呼んでくるだけの社員。売る為だけの販売員、マネキン。その現場の風景は容易に想像できます。

 お客様の前に次々に帯を広げ、踏みつけたりシワができてもものともせずに売ることに専念する。お客様が希望すれば半分に折って体に巻き付けて鏡の前に立たせる。お客様に気に入っていただけなければそのまま放り出して販売に専念する。

 塩瀬の帯としてはたまったものではない。シワだらけになり汚され染屋に戻ってくる。中には新品としての価値がなくなってしまった物も出てくる。

 このように扱われるのは塩瀬の帯に限らないが、紬であればまた元通り新品の体裁を整えて出荷することができる。染屋として塩瀬の染帯を創りたがらない理由がそこにある。塩瀬の染帯を創らない染屋の主人の悩みは十分に理解できるし、いたしかたないとも言える。しかし、そこには呉服業界の深刻な問題がはらんでいる。

 一つは、商品の流通の問題である。展示会では多くの商品が必要なため、商品は委託(借りて)である。昔は小売業者が問屋から商品を借りていた。しかし、今は問屋の力がなくなり、問屋は商品を持っていない。したがって問屋は染屋、織屋から商品を借りたり、小売屋が染屋、織屋から直接商品を借りるようになった。

 昔は染屋、織屋はそれぞれの仕事に専念し物創りに励んでいた。創った商品はほとんど問屋が現金で買い取っていた。染屋、織屋は物創りに専念し、問屋はそれを買い取って全国の小売屋に売り渡す。メーカー、問屋、小売屋はそれぞれが責任を持ってその成すべき役割を果たしていた。

 しかし、今日小売屋も問屋も商品を買い取らず委託に頼っている。シワ寄せを食ったメーカーは多くの負担を強いられている。それに拍車を掛けているのが展示会である。そして一度展示会に商品を出品すれば、染上がったばかりの商品が見るも無残な姿で帰ってくる。そこに業界の流通形態の問題がある。

 もう一つの問題は展示会で商品を扱う人の問題である。

 着物は高価でデリケートである。また創った人の心も籠っている。そう言った着物は細心の注意を払って扱わなければならない。塩瀬だけでなく呉服商品の扱いについては私も先輩に十分に注意された。

「商品を触る時には手を洗うように。」

「飾ってある袋帯を撞木から外す時には裏が擦れないように一度持ち上げてから外すように。」

「唐織の帯を扱う時には糸を引っかけないように腕時計などに注意するように。」

等々、いずれも呉服商品を扱う基本的な心掛けである。

 呉服に限らずどの業界でも商品を扱う時には細心の注意払っている。魚屋さんであれば魚の鮮度が落ちないように。陶器屋さんは商品の陶器が欠けないように。商品は、それを扱う商売人にとっては取扱いに気を付けて扱わなければならないものである。

 しかし、呉服業界、呉服の展示会での商品の扱われ方にはひどいものがある。その結果塩瀬の染帯は哀れな姿で染屋に戻ることになる。

 原因は、第一に販売員の着物に対する意識の低さがある。お客様を展示会に送り込むだけの販売員。何でもかんでも売れればよいという販売員、マネキンさん。そう言った意識が商品の扱いに反映されてくる。

 また、展示会で並べられる商品はほとんどが浮き貸し、すなわち問屋やメーカーから借りてきた商品であるということがある。自社の商品(買い取った商品)であれば、商品を傷めることが何を意味するのかが分かるはずである。そこには、他人の物だからぞんざいに扱うと言った非常に稚拙な意識が垣間見える。

 一人の販売員にしてみれば、言われたようにお客様を勧誘し展示会に連れてくる。皆がするように商品を扱いお客様に勧める。と言ったように、何の罪悪感もないのかもしれない。このあたりにも呉服業界の問題が浮かび上がってくる。

 呉服業界の流通形態がおかしくなっている。小売屋は商品を買わず問屋からの浮き貸しで商売をしようとする。商品を買ってもらえない問屋は疲弊し、問屋自体が商品を買えずにメーカー(染屋織屋)から商品を借りて商売をする。シワ寄せを食ったメーカーは、本来の物創りに専念できずに創った商品を貸して商売をしている。呉服を扱う者は、そのプロとしての意識が欠如し、着物は商売で利益を得る媒体としてしか認識していない。

 染屋が塩瀬の染帯を創らない事情の裏には呉服業界の深刻な問題がある。

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