明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの春秋終論

Ⅴ 呉服の常識と言われていることは常識か? ⅴ常識あるもの常識を語らず

きもの春秋終論

 きものの常識と思われている事、きものを選ぶときに常識と思われている事の中には、案外常識と言えない事も多い。それは、一部の人が常識と信じている事もあるし、時代の変遷とともに所謂常識でなくなってしまったものもある。

 本当の常識とは言葉通り、全ての人(日本人)に共通し、時代を越えて認識されることではないだろうか。

 時代を越えて認識される常識とは、「何を着るか」という形而下の世界ではなく、きものを着る精神と言ったらよいのだろうか、形而上の話になってしまう。日本人が昔から守り育ててきたもの、謙譲の美徳とか他人に対する思いやりなど、どの時代にも通用するのが本当の常識の神髄である。

 時代によって変化する形而下の常識(TPOなど)は、その時々の常識と捉えることもできるかもしれないが、人によって捉え方に時間差が生じる。例えば「入卒は黒絵羽織」の時代に育った人は、「羽織は着ない」と教え込まれた世代の人とは認識に時間差が生じ、一時的に異なった常識が存在することになる。

 一部の人達で流布している常識は、それを議論することは諍いの要因ともなる。どちらが正しい常識なのか、それを判定する人もいないし判定のしようがない。本当の常識を考えれば、そのような諍いは起こらないはずなのだが。

 そういう意味で私は、きものの常識は何かと問われれば、「他人に不快感を与えない着物を着る事」と答えることにしている。具体的なTPO、「〇〇の時は▽▽を着てください。」と言うような具体的な話は極力避けることにしている。

 私に相談する人は歯がゆい思いをしているかもしれないが、地域や人によって違う常識を断定的に強制するわけにはいかない。

「あの人は常識を知らないね。」と言う人は最も常識を知らない人だろうと思う。常識とは何のためにあるのか、日本人が長年掛かって積み上げてきた常識とは何なのか。そこから考えれば、自分の考えが真実であったとしても他人の無知を笑うのは常識人とは言えない。

 きものを着る常識は、皆がきものを心地よく着るためにある。もしも、まかり間違って誰の目にも常識からかけ離れた人がいたとしても、その人を如何にして恥をかかずに皆と心地よくきものを着る事ができるかを考える方が常識ではないだろうか。

「常識あるもの常識を語らず」と思うけれども、如何だろうか。

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