明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの春秋終論

Ⅵ.きものつれづれ 5.寿司ときもの

きもの春秋終論

「寿司ときもの」いったい何の関係かと思われるかもしれない。共通点は日本の文化である。寿司は日本を代表する食文化。きものは世界に誇る日本の服飾文化である。実はもっと他に沢山並べ立てたい日本の文化があるが、それらについて日々考えさせられることがある。

 現代は国際社会と言われるように、世界はとても近くなっている。近いというよりも世界が小さくなったと言える。地球の裏側で起こった出来事が瞬時に伝えられる。海外へ渡航するのに何の違和感もなくなった。若い女性が軽装で一人で海外を旅行するのも珍しくはない。時には悲惨なニュースも聞くけれども、それは日本人が海外に行く頻度が多くなったがために起こっているとも解釈できる。

 さて、寿司はもはや日本の食文化だけではなくなっている。世界中に寿司を出すレストランがある。今や寿司店の数は日本よりも海外の方が多いという。海外では日本食の人気も高いが、最近国内の寿司屋の数が減っているように思える。いわゆる回転寿司、郊外の寿司レストランは増えているが、昔からの寿司屋が店を閉めている。

 寿司屋の経営はなかなか難しいとも聞く。近所で今は閉めてしまった寿司屋のおやじさんは寿司を握りながら「寿司屋はもうかりませんよ。」と良く言っていた。何故儲からないのかと言うと、「寿司ネタは相場で買って、相場で売るしかないんです。」と言うことだった。相場が高くなれば高く売り、相場が下がれば高く売ることはできないという意味だった。実際には回転寿司が増えてきたために既存の寿司屋が減ったのだろうと思う。

 さて、日本を代表するその寿司が海外の人達に認められている。それは日本人としてうれしいように思う。しかし、その一方で日本の文化とは何かと考えさせられ、日本の文化が崩れてしまいはしないかと心配になるのは私だけだろうか。

 寿司と言えば、マグロ、イカ、タコの握り、キュウリやカンピョウの巻物などがスタンダードである。それらの他に寿司屋が工夫を凝らした創作寿司もある。山形のある寿司屋では、蔵王の樹氷になぞらえて、白菜とキュウリを巻いて「樹氷巻」として出している。他にもあるだろうけれども、いずれも日本の食材を巧みに寿司ネタとして使っている。

 しかし、海外に目を向けると何とも驚くような寿司がある。現地の食材を使うのは当然としても、果物を巻いたものや甘い寿司ネタなど、現地の名を冠して「〇〇ロール」として食されている。果たしてそれらは寿司と言えるのだろうか。

 いや、確かにそれらは寿司である。
「そんなものは寿司ではない。」
「そんな寿司は食べるな。」
と言うつもりもない。日本の食文化を海外に伝えたのだけれども、現地ではそれが増殖して独り歩きをしている。私は複雑な気持ちにさせられる。

 そのような例は逆に見れば日本にもある。今やイタ飯パスタの店はどこにでもある。イタリアから伝わったパスタだけれども、メニューを見れば、「タラコのスパゲッティー」「和風山菜スパゲッティー」など、日本で増殖したと思われるメニューが並んでいる。

 寿司屋の数が海外の方が多いとなれば、国際標準は変わってくる。海外で日本にはないメニューがスタンダードになった時、日本に来た外国人が老舗寿司屋で「〇〇ロール」と注文するかもしれない。頑固おやじが、
「そんなものない。」
と言えば、
「日本のすし屋は、そんなものも置いていないのか」
と思われるかもしれない。

 日本文化の国際化が思わぬブーメランとなって戻ってくるようになる。

 これは柔道の世界でも感じることがある。

 今や柔道はJUDOとして世界のスポーツである。ロシアのプーチン大統領も柔道の愛好者だという。日本の格闘技がこれほど海外に広まるのはとても嬉しいことである。しかし、誰しも感じているように、
「ちょっと違うんじゃないですか」
と思ってしまう。

 私も中学や高校では体育の時いくらか柔道を習った。(やらせられた。)何故か柔道の授業は寒い時期に行われる。投げ飛ばされると冷たい足が畳に擦れて痛かったのを思い出す。それでも、日本の柔道を少しかじっただけで、日本の武道を習ったことが誇らしく思ったものだった。

 柔道の授業では乱取というのがあった。二人で組んで技を掛け合うのである。最初に袖と衿をお互い掴ませられて、先生の合図とともに始まる。柔道選手の試合の様に、技の掛け合いなどと言えるものではなく、力比べをしているようなものだった。

 しかし、最近のJUDOでは組まずに始め、組もうとする様子さえ見えない。レスリングのようなしぐさで相手のスキを伺っている。足にタックルする様はまさにレスリングである。

 我々が習った柔道とJUDOは別物なのだろうという気さえする。

 柔道着もカラフルである。青い柔道着はどうも違和感がある。白の衣装は特別な意味がある。白い柔道着、力のあるものは黒帯を締める。雑念を捨てて勝負に打ち込む気持ちが感じられるのだが青い柔道着ではどうも違う。

 柔道のルールも柔道着の色も、国際JUDO連盟で決めたものなのだろう。世界各国の代表者が集まり決めたものだろうから日本の心とは離れて行っても仕方がない。国際化とはそういうものだろう。しかし、どうもそこに虚しさを感じるのは私だけだろうか。

 さて、きものの場合はどうだろう。外国人のきものに対する関心は並々ならぬものがある。それは随所で感じられる。外国人が店にやってくると、着物を着た私の母や女房を見ると、
「イッショニ、シャシンニハイッテクダサイ。」
と言われる。タイからテレビ取材に来たタレントに仮絵羽の振袖を着せたらとても喜んでいた。このまま外を歩きたいと云っていたが、さすがにそれは断ったけれども。

 知人が夫婦でミラノのスカラ座に行ってオペラを見たとき、夫婦で着物を着て行った。ちょうど演目が「蝶々夫人」であったこともあり、皆に囲まれたという。「日本の着物」は世界中の人が注目している

 注目しているのであれば「自分も着てみたい」「着物が欲しい」と思うのは外国人も変わらない。私の店にも浴衣を買いに来る外国人も年に数人はいる。しかし、サイズが合わなかったり、女性の場合は「おはしょり」と云う着方がネックとなって実際に浴衣を購入して行く外国人は少ない。 

 外国人が着物に興味がある以上、着物を海外に広めたい、または商売につなげたいと云う動きが出てくる。海外で着物を着てくれれば日本人としては嬉しいし、需要が増えれば衰退して行く着物の産地にも良い影響があるかもしれない。そう思う人もいるだろう。

 しかし、外国人は呉服屋やデパートで着物を買うことはない。一番のネックは価格だろうし、実際にパーティでも普段でも外国人が着物を着る事はまずないだろう。

 彼らが買って行くのは、土産物店に並ぶ「KIMONO」である。国際空港の売店や浅草などの観光地でよく見かける。「KIMONO」とは言えバスロープのようなもので、いわゆる着物ではない。せいぜい日本の香りのするものかと思えば、毒々しい竜や富士山、芸者(正しくは芸者ではなく花魁)が描かれている。マネキン人形に着せられているが、そのマネキン人形の頭には特攻隊よろしく日の丸の鉢巻きが巻いてあったりする。以前からそのようなものが姿を消さないところを見ると良く売れるのだろう。

 着物を海外に紹介するのはおかしなことではないが、これが「着物」として海外に広まっていったとしたらどうなるのだろう。

 〇〇ロールが日本の伝統料理である寿司、今の「JUDO」が日本の柔道、そして日本の「着物」は「KIMONO」と云う認識が世界中に広まる。それを「日本の文化が世界中に広まった証」と捉えられるだろうか。

 外国でどんな寿司が創られようと、日本人が文句を言う筋合いではない。まして、それが美味しく、その国の人達に喜ばれているのであれば尚更である。国際JUDOはルールを日本人が独断で決めるわけには行かない。

 日本の着物とは似ても似つかないものを「KIMONO」と呼ばれても何ともしようがない。

 日本人のみならず他の国の人達にとっても、内的に自分達の文化を守り継承することと、自国の文化を世界に紹介、あるいは普及させる事との間には越えられる一線があるように思える。

 この先、日本の着物や伝統文化をどのようにしてゆくのか、それは日本人が真剣に考えなくてはならない事である。

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