明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの春秋終論

Ⅵ.きものつれづれ 8.呉服屋がなくなる時

きもの春秋終論

「呉服屋がなくなる時」と言う表題は、呉服業を生業とする私にとって嫌悪すべき問題である。しかし、それを近未来の現実として受け止めなければならないところまで来ているように思われる。

「呉服屋がなくなる」と言っても、きもの、呉服、呉服屋、着物を着る人がこの世から全てなくなってしまう、と言うのは考え難い。しかし、細々と続いていても、「あの業界は死んだ」と言われる業界が多い様に、呉服業界が死を宣告される日も近いかもしれない。

 呉服業界は確実に萎んでいる。30年前には二兆円と言われた市場規模も二千億円を切ったらしい、とも言われている。織屋染屋も倒産、廃業が続き、問屋の数も減っている。業界は確実に0に収束しているようにも思える。全く0にはならないにしても、その刹那に何が起こるのか、業界に残っている人達はどのような心情なのだろうか。

 今日に限らず、一軒の呉服屋が姿を消すというのは珍しくはない。しかし、個々の呉服屋が姿を消すのは倒産、廃業と言われるもので、経営の不振や後継者難によるものである。

 どんな業種でも放漫経営による倒産はあるし、不況業種であれば努力の甲斐なく倒産と言う場合もあろう。しかし、このようなケースは、今回の考察には含めない。呉服業界の行く末を、産業としてではなく日本の伝統文化を担う生業として捉えてみたい。

 まず最初に考えられるのは、需要の減少による呉服屋の消滅である。

 着物を着る人は日に日に減少している。「きものブーム」などと言われることもあるが、日常着物で生活する人は日本の全人口から言えば皆無とも言えるレベルである。

 それでも着物を着るべき時に着物を着る人はまだいる。慶弔時やお茶をする人など、普段洋服を着ていても結婚式や葬儀、お茶会で着物を着る人は見かけられる。しかし、それらの人も減少している。結婚式で着物を着る人は少なくなった。入学式や卒業式でも父兄の着物姿は少ない。

 葬式となれば更に少なくなったように思える。葬式で女性は喪服(黒の紋付)を着るのだけれども、最近は親族以外の人が喪服を着ていると奇異な目で見られることがあるという。「親族でもないのに喪服なんて」と言う目があるらしい。親族でも喪服を着る人は少なく黒のスーツが目立つ。

 お茶をする人の人口も減っているらしい。特に若い人の入門が減っているという。お茶は習い事である。いわば修行であり厳しさも伴う、そう言ったことを若い人たちが嫌がり、また着物を着る事に嫌悪感を感じる若い人もいるという。

 若い人の中にはおしゃれで着物を着る人もいるにはいるが、必然的に着物を着る人達は確実に減少している。

 私の店の目線で見ても着物の需要は激減している

 その昔(30年前)までは、月に何度も来店されるお客様が何人かいらした。月に何度とは言わなくても、時々顔を見せるお客様もたくさんいらした。しかし、最近はそのようなお客様はとんと少なくなってしまった。そのようなお客様は、着物が好きで新着の着物を見に来たり、着物の話をしたくていらっしゃるお客様だった。着物を着る機会も興味もあったのだろう。

 来店客の減少は店の売り上げに直結している。それに耐えられずに店を閉める呉服屋も多い。しかし、このような、云わば自然減とも言える呉服の需要の減少に業界はまだまだ耐えられると私は思っている。

 私の店も売上はピーク時の半分以下になったけれどもまだまだ続けている。お客様の来店頻度は落ちているけれども私の店が見捨てられたわけではない。古くからのお客様や以前買っていただいたお客様など、多くのお客様が頻度は減ったと言えども来店していただいている。

 それまで月に一度来店されていた方は半年に一度、年に一度来店されてた方は三年に一度、と言うように必要な時には私の店を頼っていただいている。中には十年に一度、二十年に一度のお客様もいる。来店の動機は、
「娘が嫁入りするので」
「昔仕立てた訪問着が若くなったので」
「結婚式に出るので」
など。また、
「嫁入りの時に仕立てた着物を娘の寸法に仕立て替える。」
「丸洗いしてください」
などのメンテナンスの場合もある。

 いずれも、着物を着る頻度が少なくなり来店の頻度も減ったけれども、必然的な需要で来店されるお客様ばかりである。

 着物の需要は減っても確実に必然的な需要は残っている。需要の減少に耐えられずに閉めた店のお客様が行き場を失い来店される場合もある。需要の減少を世の流れと捉え、それでも間違いのないサービスを続けていれば、間口を狭くしながらも十分に生き残る余地はある。

 着物の需要の減少は残念なことではあるけれども、少ないながらもお客様が求めているサービスを如何に守れるかが呉服屋に求められている事だと思う。

 着物の需要の減少とは逆に呉服屋が店を閉めなければならなくなる原因に、着物の生産の減少がある。簡単に言えば、呉服屋は続けていても売るべき商品がなくなってしまう、と言うことである。

 織屋や染屋、その他メーカーが次々に倒産や廃業で店を閉め、商品の供給事情は変化している。需要の減少に伴ってメーカーの数が減っているので、需要に対する供給の量に問題はないのかもしれないが、問題はその中身である。

 最近欲しいと思う商品が入りにくくなってきた。「欲しい」と言うのは、在庫に欠けている商品や、お客様から注文を受けた商品である。色や柄、年代、また染や織の良し悪し、価格等お眼鏡に叶う商品は中々見つからない。

 昔は仕入れに行って2~3軒の問屋をまわれば欲しい商品が手に入った。お客様から注文があり在庫に無ければ、やはり2~3軒の問屋に電話をすれば適切な商品が数反入手することもできた。

 お客様からの注文は、「客注」と言って、売れる確率が高いので問屋さんは一生懸命に商品を探して送ってくれたものだが、最近は商品がなくあきらめる場合も多い。

「松の柄で色の濃い訪問着。年頃は40歳位。柄は大胆なもの。」
と注文しても、まず松の柄そのものが少ない。ようやく見つけてくれた訪問着を三枚送ってきたがいずれもイメージとは違う。
「もっと松が大胆に描かれたものを。」
と再度お願いすると、
「いや、うちはもうそれ以上松の柄は探せません。」
と断られてしまう。

 お客様の注文なので何とか探したいと思うのだけれども結局期待に添えないこともある。必死になって探そうと、数件の問屋に問い合わせて返事を待っていると、
「その注文、他の問屋さんにもしていなかったですか。」
という返事が返ってくることがある。それぞれの問屋さんは一生懸命に私の注文品を探してくれているのだけれども、行き着く先は同じ染屋や織屋になるらしい。染屋や織屋に複数の問屋から同じ問い合わせが入り、上記のような返事になってしまう。

 染屋や織屋はまだまだ沢山あるけれども、特定の柄や色、価格の商品となるとどこの問屋でも同じメーカーをあてにせざるを得ないのである。

 これは困った事ではあるけれども、業界が縮小し、流通する商品が減り、問屋やメーカーの数が減った結果であり、致し方ないかもしれない。

 希望する柄の着物が少なくなった。思った色の着物の数が減った。といったように着物を選ぶ選択肢が減ったことは残念だと言え、着物がなくなったわけではないし、着物を着られなくなったわけでもない。呉服屋としては商売がし辛くなったとは言え、呉服屋が店を閉めるという原因とはならない。

 しかし、業界の縮小には別な角度から呉服店を閉店に追い込む要素がはらんでいる。

 呉服店が商売をするために仕入れる物は着物地や帯に限らない。胴裏や帯芯などの仕立てに必要な付属品。半襟や帯締、帯揚、草履などの小物。それらが揃って初めて着物や帯を仕立てることができ、着物を着る事ができる。

 こう言った小物や付属品はとても種類が多い。半襟を一つ取って見ても、秋冬用の半襟と夏用の絽の半襟がある。素材によっても、正絹、交織、化繊、麻など。そして、色物や柄物、刺繍半襟など。全ての半襟を揃えようとするだけで途轍もないアイテムの半襟を在庫として用意しなければならない。

 また、裏襟は表には出ないので半襟ほど種類は多くはないが、羽二重、夏用の絽、化繊、キュプラ、麻など様々な種類がある。

 これら半襟や裏襟は今でも相当数の需要があるが、最近ほとんど需要のなくなった付属品もある。昔は、日本人のほとんどが四六時中着物を着ていたので、着物の種類は現在に比べてはるかに多かった。綿やウールの着物。半纏、寝巻、掻巻、ねんねこ、産着や子供の着物(普段着の)等々。それらを仕立てるには、着物と同様に表生地と付属品が必要だった。

 普段着として用いられた生地は、木綿やウール。木綿にも材質や産地によって高価なものから極廉価なものまで。ウールと一口に言っても、「しょうざん」等の染を施したものから、ネル、セル、メリンスまで種類があった。

 しかし、それらの着物(訪問着、小紋、紬といった現在呉服屋に並んでいる商品ではない着物)はほとんど需要がなくなってしまった。なくなったと言っても、まったくというわけではなくていくらかの需要はある。ウールの着物を求めてくる人は稀にいるし、何十年も使った掻巻がボロボロになったので相談に来る方もいる。そして、未だに自分で仕立てをする人が、裏襟や袖口に使う黒八、別珍衿を買いに来ることもある。

 そう言った商品は、着物のパーツとして昔はどこの呉服屋でも扱っていただろう。しかし、そう言った商品を扱っている呉服屋はほとんどないらしい。私の店に来て、

「別珍の衿は置いていますか。」
という問いに、
「はい、ございます。」
と言うと、
「本当にあるんですか。」
といった驚いた様子で買って行く。

 私の店では、ほとんど動かないような商品でもできるだけ置くようにしている。在庫の金額としてはそう大きくはないし、やはり常に着物を着ている人達が利用できない呉服屋にはなりたくないと思う。

 しかし、小売屋はそれで済むのだけれども、それを作る立場(メーカー)になるとそうはいかない。わずかな需要の為に商品を生産するのは大変なことである。

 先に挙げた袖口や半纏、丹前の衿に使われる黒八は、私の店で売れるのはせいぜい年に2~3着分である。一着分は1,000~1,500円。山形県ではおそらく私の店も含めて数件しか扱っていないだろう。そう考えると、全国で年間どれだけ黒八が売れるのだろう。

 メリンスの襦袢は普段着用として着られてきた。普段着に正絹の襦袢ではもったいない。メリンスであれば安価でメンテナンスも楽である。そういう意味で私の店では普段着にはメリンス襦袢を勧めてきた。メリンス襦袢は多彩な色柄で染められ、以前は柄見本帳と言えば生地を分厚く閉じたものだった。しかし、最近は柄数が限られてきた。先日男物のメリンス襦袢を発注しようとしたところ柄は色違いも含めてせいぜい十種位。柄を選ぼうにも選べなくなってきている

 メーカーとしては多くの柄を生産できるほどの需要がないのだろう。需要のないものは、メーカーとして生産を減らし、時には生産を終了せざるを得ないのは、この業界に限ったことではない。

 訪問着や小紋、袋帯や名古屋帯、襦袢などはメーカーが減っているとはいえ、これからもまだまだ創られるだろう。しかし、着物の裾物とも言える付属品やメリンスなどの普段着に必要な商品が減少し、姿を消すことも考えられる。

 今呉服店で盛んに売られている訪問着や小紋、高級紬、袋帯や名古屋帯を着物の本丸とすると、呉服業界は次第に外堀を埋められつつある。極普段着としての紬やウールは次第に姿を消し、それらを仕立てるのに必要な付属品もいつまで供給が続くか分からない。

 三の丸、二の丸を失えば城としての機能は果たさなくなってしまうのだが、呉服業界は、そんな事にはお構いなしに本丸の高さだけを競おうとしている。やせ細った異常に高い本丸だけが残り、それが瓦解する時が「呉服屋がなくなる時」かもしれない。

 さて、需要の減少によって外堀が埋められる・・則ち店頭に並ぶ商品のアイテムの減少・・は避けられないだろう。細った需要に対しても真摯に向き合い、呉服の火を灯し続ける努力をすれば「呉服屋がなくなる時」はずっと先に延命できる、否再生できるかもしれない。

 問題は、やせ細った異常に高い本丸である。外堀には目もくれず、高額な着物を、いや高額にした着物を消費者に売るだけの呉服業界であれば、バベルの塔が倒壊する如く崩壊するだろう。

 私の店に限って言えば、「結城屋がなくなる時」は何が引き金になるのだろう。
企業である以上、最も危ないのは放漫経営である。店の実情を考えずにどんぶり勘定で経営して倒産する例は散見されるが、私はそれはないつもりでいる。現状のような呉服業界で放漫経営すればたちまち倒産の憂き目を見ることは間違いない。

 放漫経営はないとしても、どんな経営者であっても、どんなにまじめに経営に専心しても内的外的理由によって店を閉めなくてはならなくなることもある。

 内的理由としては経営手腕の不足と言う原因が考えられるが、それは資本主義の世の中に於いては「力不足」として本人の責任でしかない。

 外的理由としては、今まで述べてきたように、

  • ➀需要の減少による呉服店の消滅
  • ➁着物の生産の減少により売るべき商品の減少
  • ➂着物の付属品や安価な着物のアイテムの消滅によって着物そのものの存立が危うくなる
  • ➃業界自身による自滅

が考えられる。

 私の店で①は何とか耐えている。きものの需要は確実に減っているが、店をそれに合わせて縮小しながらも、本当に着物を欲しい人の需要に応えれば、まだまだ店は閉めずにいられると確信している。

  ②には本当に困っている。お客様求めている商品、店に並べたいと思う商品が容易に手に入らない。最近は、問屋では見つからないので染屋、織屋に足を運んで商品を調達している。この時代ならではの企業努力と思う。

 ③も大変困った問題である。需要の量としては非常に少ないとはいえ、本当に着物が好きな人にとっては必要なアイテムが消えて行く。これも、仕入れ先を変えながら、また代用品を探しては調達している。このような努力をいつまで続けられるか分からないが続く限り少ない需要にも応えて行きたいと思っている。

 ここまでの①から③までは、企業努力により何とか店を続けられそうである。しかし、私の店にとって一番の問題は④である。

 日本の着物をより後世まで伝えたい。そういう意味で①②③の努力を続けている。しかし、業界ではそれとは真逆に動いている。需要の少ない着物は切り捨てる。売り上げを確保するために展示会ではとてつもなく高額で着物が販売される。あの手この手の販売は消費者に不信感を与え、着物に近寄りがたい印象を与えている。

 ネット上で散見される呉服店への苦情はまさにそれらの産物である。

 また、売り上げを確保するために、日本の伝統的な着物はどこへやら、今迄とはまるで違ったしきたりを誘発する着物が売られている。それらは、これからの日本の着物を創造するものではなく、売り上げを確保せんがためのもので、一過性に留まり出ては消え、着物の本質を見えにくくこそすれ、本当に着物の普及にはむしろ障害となっている。

 このような呉服環境の中、消費者の間で着物の本質が見えなくなり私の店に、
「こんな安い着物は化繊ですか。」
「ゆかたに合わせる袋帯はありませんか。」
「裄丈を2尺3寸にしてください。」

 そう言うお客様が頻繁にいらっしゃるようになれば、私の店も閉めなくてはならないだろう。

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