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全日本きもの研究会 きもの春秋終論

Ⅵ.きものつれづれ 26.再々・・・度、着物のしきたりについて

きもの春秋終論

 着物のしきたりについては何度書いてきただろうか。読者には、「また同じ話題か」と呆れられるかもしれない。しかし、私はこの問題について何度書いても、何度言葉を替えても、未だにすっきりしない。

 私の思っていることが読者に正確に伝わったのか。そして、私の知識不足が、かえって着物を着ようとする読者を混乱させているのではないかと言う思いが強くなってくる。

 一つの事を説明しようとする場合、同じ方向から言葉を替えて説明しようとしても中々真実は伝わらない。例えば、茶筒の形を説明しようとした場合、「茶筒は丸い物だ」と言えば、真実を言っているが、読者に茶筒の本当の形は伝わらない。「横から見れば四角です」と言えば、少しは真実に近づけるように、着物のしきたりについてちょっと違った角度から書いてみようと思う。

 中国の思想家に老子と言う人がいる。春秋戦国時代に活躍した諸子百家の一人で、荘子や列子とともに、道家と言う学派の思想家である。紀元前6世紀半ばに生まれたとされている。(はっきりとしたことは分からない。)儒家の孔子が生まれる少し前らしい。

 その老子がたった一冊の書物を残している。「老子道徳経」と呼ばれる書物である。「道徳経」と言っても、お経の本でも宗教の本でもない。人の生き方を解いた哲学書である。
老子は、書物を残さず自分の思想を人に押し付ける事もなかった。世の乱れを嘆いて世を捨て、当時の中国の西の端である函谷関から西へ旅立とうとする。(一説ではローマに向かったとも言われている。)

 その時、函谷関の関所の役人である尹喜と言う人物が老子に教えを書いてくれるように頼み、老子はそれに応じて「道徳経」を著した。もしも、尹喜が老子と出会わなければ、老子の哲学は今日に伝わらなかったかもしれない。

 さて、「道徳経」は同じ道家の荘子が著した「荘子」と共に私の座右の書である。諸子百家と言えば、儒家の孔子の書いた「論語」が有名で、広く一般に知られ受け入れられているが、老子の思想は、現代人が忘れた、そして現代人には必要な思想である。
一般に、儒家と道家の思想は相反し、相容れないように語られることがあるが、決してそうではない。「論語」と「道徳経」には似たような教えもある。その「道徳経」に着物のしきたりを説くのに相応しい行がある。道徳経、第一章の冒頭の行である。

   道可道、非常道、名可名、非常名、・・・・・故常無欲、
   以観其妙、常有欲、以観其徼・・・・・

   (道の道(い)う可きは、常の道に非ず。名の名づく可きは、常の名に非ず。・・・
    故(まこと)に「常に欲なきもの、以て其の妙を観(み)、常に欲有るもの、以て
    其の徼を観る。・・・・)

 これを現代語訳にすれば、
「「道」が語りうるものであれば、それは不変の道ではない。「名」が名づけうるものであれば、それは不変の「名」ではない。・・・・まことに「永久に欲望から解放されているもののみが『妙』(かくされた本質)を見る事ができ、決して欲望から解放されない物は『徼』(その結果)だけしか見る事ができない」のだ。」

となるが、これでもまだよく分からない。

「道」(タオ)は、哲学的にはとても難しい概念で、私が解説できる代物ではないが、私は「真実」「真理」または「人の道」と解釈している。私なりの言葉で老子の言葉を解釈すると次の様である。
「人が歩むべき真理は、『これがそうです』と言葉で言える物であれば、それは本当の人の歩むべき真理ではない。真理には名前やお題目もない。・・・・・名の無い真理をすべて受け入れようとする人には真理の本質を認識できるが、真理を我が物にして、そのお題目に与ろうとする者には真理の本質は見えず、その形骸を認識するのみである。」

「道」と言う深遠な概念は人が言葉で表現できる域を超えている。しかし、それは認識できない事ではないが、認識しようとすれば逃げて行くのである。

 大変哲学的な話になってしまったが、この言葉は、着物のしきたりの本質を突いているように思われる。
 日本の着物のしきたりは、千数百年の時を経て確立されたものである。時代の変遷により着物の形態は微妙に変わり、また社会体制の変化による礼儀や常識も変わってきた。しかし、時代や地域によってしきたりは一見バラバラにも見えるが、衣装に対する日本人の意識(日本人だけでなくどの民族の意識も)には真っ直ぐな筋が通っている.

そのしきたりをお題目で把握する事はとても困難、いや不可能である。

老子の言葉を再度、着物のしきたりに合わせて要約してみる。

「『これが着物のしきたりです。』と言葉で言える物があれば、それは本当の着物のしきたりではない。着物のしきたりを一覧にする事は出来ない。・・・・着物を着る時には、自分の着物の知識や持っている着物を誇ることなく、何を着ればその場に一番合うのか、その場の雰囲気を盛り上げ、他人の心を満たせられるのか、そう考えて着物を着る人には着物の本当のしきたりは見えてくる。しかし、己の知識をひけらかし他人に押し付け、『着物のしきたりはこうだ。』と断言する者は、何時まで経っても本当の着物のしきたりは見えず、着物のしきたりの形骸しか認識できない。」

 きもののしきたりを知ることは、今迄積み上げてきた日本の文化、日本人の心を知る事である。日本人が何を大切に守ってきたのかを考えれば、きもののしきたりは朧気ながら見えてくるのではないだろうか。

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