明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの春秋終論

Ⅵ.きものつれづれ 50 着物の処分・箪笥の整理

きもの春秋終論

 最近、着物の処分について相談を受ける事が多くなった。中には遠方の方より電話やメールでご相談を頂戴する事もある。着物の処分と言っても必ずしも廃棄を意味しない。相談者は箪笥に仕舞われた膨大な着物(膨大と感じるのは箪笥に全く手を付けていないせいもある)を前に廃棄も含めてどのように扱って良いのかが分からないでいる。

 箪笥には亡くなった母の着物、自分が嫁入りで持参した着物、主人の紋付や紬、娘の七五三の着物、その他誰が着たのか分からない着物も沢山仕舞われている。着物は洋服と違って、流行遅れになれば廃棄すると言う訳には行かない。いや、むしろ箪笥の着物に手を付ける事すら躊躇しているようだ。

 先日、お客様の依頼でご自宅を訪問して箪笥を開いて着物の処分の相談をしてきたが、おかげで箪笥がさっぱりしたと感謝された。

 着物の処分については、「Ⅶ-40 着物の処分・古着」で一度触れたけれども、今回は私が実際に家に訪問して着物の処分の指南をする場合、どのような順序でどのような観点でアドバイスさせていただいているのかを詳らかにしたい。

 近場であれば、参上して実際に箪笥を開けてアドバイスできるけれども、遠方の方はご自分で箪笥を開いて整理できるよう順序立ててご説明しようと思うので参考にしていただければ幸いである。

 さて、より具体的に分かり易くご説明する為に、私が訪問する架空の家庭の家族構成を次の様に想定する。

 依頼したのは70~80歳のご婦人。御主人はなくなり一人暮らし。息子さんと娘さんがおり、いずれも既婚。男孫女孫どちらもいらっしゃる。娘さんは近くで暮らし、息子さんは遠くで暮らしている。

 着物は洋服と違って継承できると言う利点がある。そういう意味で着物の処分を考える際に家族構成を知ることは非常に大切である。箪笥の着物を整理する場合、姉妹子供孫等の家族構成を改めて確認する事が必要である。

 私が相談に伺ってまず、今後箪笥に仕舞われている着物が、着物として着られることがあるかどうかを尋ねる。本人は着物を着るのか、着る機会があるのか。兄弟がいれば着物に興味のある方はいらっしゃるのか、娘さんは着物を着る事があるのか、お茶を嗜む人はいるのかどうか等。

 身内の誰にせよ着物に興味があったり着物を着る人がいれば、自ずと箪笥の着物の整理法が違って来る。ここで私が想定した架空の家庭に当てはめて二つのケースについて考えて見る。一つは、『身内に着物を着る人がいる場合』もう一つは、『差し当たって身内に着物を着る人がいない場合』である。

 ではまず第一のケース『身内に着物を着る人がいる場合』を考えて見よう。

『身内に着物を着る人がいる場合』

 身内に着物を着る人がいる場合、箪笥の整理は比較的簡単である。簡単というのは、箪笥の着物を全て有効に使えるという意味ではなく、着物の処理法が比較的容易に判断されるという意味である。 身内と言っても様々である。兄弟、息子娘、甥姪、孫、従妹など。必ずしも血族ではなくても、義理の妹や義理の姪と言う事もあるだろう。それら身内を俯瞰して着物を着る人がいれば、それを特定してもらう。

  着物を着る、と言ってもこれもまた様々である。始終着物を着ている人からお茶など着物を着る習い事をしている人。冠婚葬祭や卒入式には着物を着る。また最近着物に興味を持っていると言うのも有力情報である。案外この、着物を今着てはいないけれども着物に興味を持っていると言う人が一番当てになるのだが。

 着物の処理方法としては誰かに来てもらうのが一番である。しかし、その人の年代に合う着物、その人の好みに合いそうな着物であれば全て譲れる訳ではない。ここでまず検証すべきは寸法である。その対象となる人の着物の寸法が分かるのであれば話は早いが、分からなければ身長から推論しなければならない。

 一番は身丈である。一般的に昔の人は背が低く、現代人は背が高い。古い着物であれば身丈が短いものが多い。身丈が長ければ短くすればよい、と直感するのであるが、身丈が短いのであれば身丈を伸ばすことができるかどうかを検証する。内揚があるかどうかである。内揚は、将来身丈を伸ばせるように身頃を胸のあたりで生地をつまんで縫い込んである。

 胸のあたりを見れば内揚があるかどうかが分かる。ただし前身頃である。後ろ身頃は繰り越しを採るために内揚がなくても生地がつまんである。前身頃につまみがあれば身丈を伸ばすことができる。どれだけ伸ばせるかは、つまんである生地の長さである。つまんだ長さの二倍だけ身丈を伸ばすことができる。1寸つまんであれば2寸身丈を伸ばすことができる。伸ばした身丈で足りるのかどうか。それで着物の運命は決まる。身丈が足りるのであれば、とりあえずとって置く。

 さて、もう一つは袖丈と裄である。袖丈は袖先に縫い込んである生地でどれだけ延ばされるかが分かる。袖先を解かずに触ってみれば分かるけれども、仕立替えや廃棄を前提にしているのであれば解いて測って見ても良い。

 裄は袖付けを解いて延ばす。袖幅は反物の幅を用いるので裁ってあることはない。
   裄丈 = 肩幅 + 袖幅
なので、反物の巾の二倍から縫い代を引いた分だけ裄丈を採れる。現代の反物は幅が一尺あるので裄丈は1尺9寸5分程度まで採れる。しかし、昔の反物は幅が9寸位の物もある。その昔の反物は8寸5分位の物もある。従って古い着物は要注意である。現代の若い人は裄丈を長く採るので古い着物では裄丈を確保できない場合がある。

 身丈、袖丈、裄丈が十分に採れるのであれば、一次試験合格と言うところである。

 着物を着る身内の人がいて、その人が着たい着物を選び寸法を測る。そして、それらの内仕立替え可能な着物がまな板に載せられる。しかし、それらの着物が全て仕立て替えて着られるとは限らない。一つ一つ検証する必要がある。

 まず、その着物がどの程度の物かである。昔のすばらしい友禅を施した着物になると、私も「是非とって置かれたら良いですよ」と言いたくなる。しかし、中には「仕立て替えられるまでもないんじゃないですか」と言う物もある。と言うのは、絹物の袷の場合、解いて洗い張りをして仕立て替える。昔の着物は胴裏が変色している場合もあるので胴裏も交換しなければならない。新品であろうと仕立て替えであろうと仕立代は同じである。そうすると仕立て替えるのに加工代が結構掛かってしまう。 高価な着物であれば仕立代も惜しくはないが、安い紬や小紋になると簡単にはお勧めできない。

 尤もそれは、その着物を着たいと言う人の選択なので、どんな着物でも着たいと思えば仕立て替えすることに私は反対はしない。ただ、加工代がどれだけ掛かるのかを説明する事にしている。そして、どうしてもその着物を着たいと迷うのであれば、出来得る別の方法も提示するようにしている。

 例えば、身丈は1寸短いが、裄は1寸5分短いと言う場合、「身丈はちょっと短いけれども我慢してください。裄だけ直すのでしたら加工代はそう掛かりませんから。」と言うアドバイスもできる。小紋袷の場合、洗い張りと仕立替えだけで5万円位掛かってしまう。しかし、裄を出すだけならば1万円程度でできる。

 単衣の着物の身幅が前幅後幅共に広すぎると言った場合、着物を解かずに脇縫いを前後同じだけ幅を詰める、と言った手もある。

 古い着物を加工する場合、やはりその加工代がいくらかかるかは気になるところである。しかし、着物はこのように比較的鷹揚である。着物のことを良く知る呉服屋さんに相談すれば、余り加工代を掛けずに加工する方法を教えてくれる。

 安い着物の仕立て替えはお勧めしないと言ってしまったが、呉服屋はいろんな魔法を心得ている。それはケースバイケースでしかないので、紙面で伝授はできないけれども意外と簡単に解決できる場合もある。そのことも頭に入れで箪笥の整理を考えてはどうだろうか。

 さて、タンスの中から身内が着てくれそうな着物を抜き出してみたが、他にもまだ沢山の着物がある。年齢が合わない、着る機会か無さそうな着物、男物等。次にそれらの処分方法を考えるのだけれども、ここからは、『身内に着物を着る人がいない場合』と同じである。従って次に『身内に着物を着る人がいない場合』として説明する。

『身内に着物を着る人がいない場合』

 自分は着物を着ないし、差し当たって身内に着物を着る人もいない、と言うケースは多いが、先に書いた通り、それでも着物を捨てるのを躊躇している人が多い。「親が着ていた着物」「高価かもしれない着物」「周りに誰も着物を捨てる人がいない」など、要するに「何となく着物は捨てられない」と言う思いがあるようだ。

 身内に着物を着る人がいない場合、私が箪笥を開いてまず注目するのは、着物の種類である。種類と言うよりも格と言った方が良いかもしれない。

 昔は着物を良く着たので、普段着が残っている場合が多い。普段着と言うのは、綿やウールの類である。これらは、採って置いてもまず着る事はない。余程着物の好きな人がいれば別だけれども、身内に着物を着る人がいないのであれば採って置いてもしょうがない。加工しようにも着物の価値に比べて加工代が掛かりすぎる。

 綿やウールは古着屋で高価で引き取ってくれるケースはまずない。綿の中には、薩摩絣など極一部価値のある物があるけれども、それ以外は寸法など測るまでもなく廃棄を薦めている。

 さて、それ以外の着物について、
「着る人がいないのでしたら、全て廃棄したらよいでしょう。」
とは中々言えないし言う気もない。呉服屋としては、まずどんな着物があるか興味があり、一枚一枚開いて行く。中には珍しい着物もあるからである。そこで、次に着物の種類別に考えて見る。

➀振袖
 娘さんがいらっしゃる家では大体振袖がしまってある。お嫁に行ったとしても自分が着た振袖を持って行くことは余りしない。実家の箪笥に眠っている場合が多い。

 先に想定した家庭に当てはめてみると、嫁に行った娘の振袖を母親が一人で守っている。母親にしてみれば、娘が二十歳の時に仕立てた振袖である。また娘にしてみれば、成人式で着た思い出深い振袖である。どちらにしても捨てるには忍びない。

 娘さんに女の子がいる場合は、
「着るにしても着ないにしても娘さんの為にとって置かれてはいかがですか。」
で大体話はまとまる。

 私の趣味かもしれないが、昔の振袖は良い物がある。今成人式で着られている振袖は貸衣装が多く、私には受け入れられない振袖が多い。そんな中に有って、昔の振袖を見るとホッとする。とても捨てるのを薦める気にはなれない。

 女の子がいる場合、大抵それで納得してもらえる。今の子どもは背が高く手も長くなっているので寸法を心配される方もいるが、解いて仕立て直せば十分に対応できる。できれば、今解いて洗っておいた方が良い。子供が成人式の時に間違いなく着るのであれば、シミや汚れも完全に落としてしまっていた方が良い。

 女の子供さんがいらっしゃらない場合でも、やはり振袖は採って置くのを薦めている。娘さんの振袖であれば、せいぜい20~30年前の着物である。30年前の着物と言えば洋服と違って古くはない。流行遅れもない。やはり捨てるのは忍びない。
「思い出の振袖でしょうし、曾孫さんがお召しに成るかもしれませんから。」
とお勧めする。振袖用の立派な袋帯を見れば誰しもそう思う。後々着る着ないにかかわらず採って置くのが良いだろうと思う。長期間の保存になるので、解かないまでも洗ってしまっておくことをお勧めする。

➁ 黒留袖、黒紋付
 箪笥の中を見ると、黒留袖、黒紋付(喪服)が仕舞われているケースが多い。どちらも式服として着物を着ていた時代には必需品であった。娘が結婚する時に着た黒留袖、またその先代が着た黒留袖も仕舞われている場合がある。黒紋付も同じである。昔は故人を送る時には必ず黒紋付を着た。そんな訳で箪笥の中に黒留袖、黒紋付が仕舞われている。どちらも式服なので、度々着る着物ではないし、そうかと言ってぞんざいに扱う着物ではない。いずれも大切に保管されている。

 それらを処分するか否か。それを判断するのには、まず第一に保管状態である。古い着物であればあるほど保管状態を良く見なければならない。中にはとても古い留袖が出てくることがある。昭和初期の物になると、留袖の元祖である江戸褄と呼ばれるものである。江戸褄は裾模様が小さく染められているだけで、現在の留袖のような迫力はない。それだけで、これからその留袖を着る人はいないように思える。そして、その頃の留袖に限らず着物は生地が弱っていて仕立て替えに耐えられない。

 そう言った留袖は仕立替えをお勧めしない。しかし、私にとってはとても貴重な着物に思えるが、持ち主にとってはそのような感情を持つか持たないかは別問題である。
「今ではとても貴重な留袖ですが、仕立替えはできません。先代か、あるいは先々代の遺品と思いますので、どうなされるかはお決めください。」
となってしまう。

 比較的新しい留袖の場合、保管状態によっては、変色していたりカビが浸透しているものもあり、染抜きや洗い張りをしても治りそうもない場合は処分を薦めている。

 仕立替えにも耐えられそうな留袖があっても着る人がいない。留袖は、その単体で仕舞われていることは少ない。大抵襦袢と袋帯がセットになって仕舞われている。その場合、次の様にアドバイスしている。
「せっかく残していただいた黒留袖一式です。直ぐに着る人はいらっしゃらなくても、お嬢様の子供さんが結婚される時、ひょっとして必要になるかもしれませんから。また、一式新調するとなると大変ですから。」
と、処分しないようにお勧めしている。

 娘さんが次世代に黒留袖を着るか否かは分からない。それでもアドバイスしたように、丸々一式揃えようとすると金額的にも大変な事もあるが、私としてはやはり着物は大切に扱っていただきたいと言う気持ちもある。全ての着物を採って置くのは難しいけれども、先代の思い入れのある式服一式位は残していただきたいのである。

 黒の紋付(喪服)も良く箪笥に入っている。喪服も昔は必需品であった。葬式の時には必ず女性は喪服を着ていた。今と違って暖房の完備していない広い本堂では、寒いので黒の紋付羽織を着ていた。 しかし、何時頃からか、と言うよりも洋服が広がり出してから喪服は次第に少なくなってしまった。そして挙句の果てに「喪服を着るのは親族の女性」と言うコンセンサスが広がっている様にも思われる。

 故人の奥様や娘さんは今でも喪服を着る場合が多い。しかし、参列者が喪服を着て行くと「ご親族ですか」と声を掛けられる場合がある。そんな事情もあって、参列者は喪服を着るのをはばかって黒の江戸小紋や寒色の色無地を着ている人も見かけるようになった。呉服屋としてはなんとも寂しいが、これも時代の流れなのだろう。

 さて、箪笥に仕舞われている黒紋付は古い物から最近の物まで様々である。やはり、喪服を処分するのに抵抗があるのだろう。とても古い黒紋付が仕舞われていることがある。

 黒紋付の生地は、今は縮緬地がほとんどになってしまったが、かつては羽二重地だった。男性用の黒紋付は地の厚い塩瀬羽二重地を使うけれども、女性用は少し地の薄い羽二重地だった。羽二重地は縮緬地と比べて光沢がある。それ故に縮緬の黒紋付と比べると白っぽく見える。そんな理由で黒紋付の生地は羽二重地から縮緬地に変わったのかもしれない。今は全て縮緬地である。

 少し前(20年位前)には、縮緬地が主流の中で、以前の羽二重地に習って羽二重地を注文するお客様もいらしたが、現在は全くいらっしゃらない。

 箪笥にある黒紋付が羽二重地であれば、間違いなく古い物と思って間違いない。生地は触ってみれば縮緬地よりもすべすべするのですぐ分かる。そして、古ければ色が変わっている場合がある。そのような黒紋付の仕立て替えは、まず難しい。余程の思い入れでもなければ、廃棄処分を考えるのが妥当である。

 比較的新しい縮緬の黒紋付の場合は、持ち主が健在であれば(母用、娘用など)やはり保存しておくのが良いだろう。留袖と同じように、黒紋付の場合、襦袢や帯がセットで用意されている。今後、着る場合がないとは限らないのであれば、再度新調する事を考えれば安い話である。

 母親の黒紋付があり、娘のがない場合。そして、母はもう着る事がない。親戚の葬式があってももう参列しないと言う事もあるだろう。その場合、母と娘の体形が、そう違わない場合は、やはりとって置いた方が良いとアドバイスしている。その黒紋付が十分に着られるものであれば是非ともそうしていただきたい。

 留袖も黒紋付も慶弔の式服である。できればそれらを大切にしていただきたいのである。もちろん、十分に着られる状態であればの話ではあるが。

➂ 男物黒紋付羽織袴
 男物の黒紋付も度々箪笥の中でお目に掛かる。ほとんどが羽織と袴、襦袢がセットである。昔は成人男子がスーツを誂えるのと同じように男性は、黒の紋付羽織袴を揃えたのだろう。余り着た形跡がない様な状態の物もよくある。

 昔と言ってもおそらく昭和30年代頃までだろうか。私の世代(昭和31年生)で黒紋付を持っている人は少ない。それ以前、昭和30年代に成人あるいは結婚した男性の必需品だったのかもしれない。

 それらの紋付を見て一様に実に立派な紋付なのに驚かされる。立派と言うのは、生地が素晴らしい。男物の黒紋付は、塩瀬羽二重地が使われている。塩瀬羽二重地は胴裏に使うような羽二重地と違って太い糸、特に横糸が太く地厚でしっかりしている。最近まで織られていた塩瀬羽二重は高価なものでもここまで生地がしっかりしていない。そう思わされる。昔は、家長となるべき人には最高の黒紋付を仕立てたと言う思いが伝わって来る。

 さて、この黒紋付をどうしたらよい物か。物品を見れば、私は「捨てるにはもったいない」いや「捨てるのは失礼だ」とも思えてしまう。

 黒紋付の場合は、「着物の好きな人に差し上げる。」と言う選択はまずない。紋付には紋が付いている。家紋である。家紋は着ている人の出自を表す。男性の黒紋付は皆自分の家の家紋を付ける。

 女性の場合は家紋に拘らない。何故女性は家紋に拘らないのかと言えば、昔の男尊女卑の思想も絡んでいる様にも思えるのだが、女性はより女性らしい紋を付ける、と言う意味もあるらしい。

 男性の黒紋付の話なので女性はさて置き、黒紋付には家紋を付ける。従って紋の違う家の人に来てもらう訳にはいかない。黒紋付、とりわけ古い黒紋付の紋を入れ替える事は出来ない。出来るとすれば張紋である。結婚式場の貸衣装では張紋をするのだろうけれども、一家の家長となる人に「張紋を付けてどうですか」とは言えない。それよりも前に、現代の世の中では男性が黒紋付羽織袴一式を仕立てる人は少ないだけに揃えようとする人はそれなりの物を要求する。張紋で満足するとは思えない。

 そんな時私は、箪笥の前に座った母親と娘さんに、
息子さんはいらっしゃいますか。」
「ご兄弟はいらっしゃいますね。」
と聞くようにしている。

 今時男性の多くは、ほとんど着物に興味がない。母親も、息子の着物と言う感覚はないようで、息子さんの紋付羽織袴姿はすでに頭からはずされている。それでも私は、
「是非息子さんの為に一式とって置かれたらいかがですか。」
とお薦めする。

 今の若者は昔の人に比べて体格が良い。身長差があり、いかがかと思われるかもしれないが、幸い男性の紋付には必ず袴を履く。身丈が短くても着るのに不都合はない。裄の問題はあるかもしれない。しかし、少々我慢していただくか、裄だけを直せばよい。黒紋付の場合、裄出しはなかなか難しい。塩瀬羽二重は折痕がなかなか消えない。古い物ではなおさらである。また黒は、色が微妙である。焼けていることもある。それでも巧く直して直せない事もない。そこまで考えても、男性の黒紋付羽織袴は日本男子の矜持としてとって置いていただきたいのである。

 さて、それでも息子さんは、「着ない」「いらない」だとしたら。捨てるには忍びない黒紋付を役立ててもらう次の様な方法もある。実は黒紋付を欲しがっている人達がいる。例えば弓道家である。弓道では正式な試合では黒紋付を着る。本当の弓道家は自前の黒紋付を持っている。しかし、その手前と言っては失礼だが、若い弓道家、ずばり大学の弓道部員である。

 大学の弓道部員の中には自前の黒紋付を持っている人もいるけれども、ほとんどの学生にとって塩瀬羽二重の黒紋付など高根の花である。安い紬の古着などを買ってきて着ているらしい。

 一度、大学の弓道部員が黒紋付を欲しがっていると言うので紹介したことがある。大変喜ばれた。必要であれば張紋をして家紋にしてあげようと言ったが、それも必要なかった。とにかく黒紋付を着るのにあこがれているようだった。

 もう一人、黒紋付を着る人がいる。落語家である。最近の落語家は、笑点のような派手なパステル調の色紋付を着る人が多い。しかし、元々は「高座は黒紋付」と決まっていたと言う話を聞いたことがある。高座での黒紋付は威厳があって噺家に相応しい。

 大学の落研では、今時の派手な色紋付など誂える人はいない。古着屋に行っても得られないだろう。そう言った人達に黒紋付を提供しては如何だろうか。

 謡曲をなさる方も黒紋付を着る。ただし、謡曲をなさる方は、そこそこの身分の方が多く、格式を重んじ自前の紋付を着ているので余り需要はないかもしれない。

 もう一人、変わった所では、演劇集団がある。私の店に時々顔を出す若い演劇集団のメンバーがいる。殺陣を行う時代物の演劇を得意としている。どんな演劇でも衣装を準備するのに苦労するらしい。武士の黒紋付姿を演じるのに来てもらおうと話をしたらとても喜んでくれた。舞台衣装に立派な塩瀬羽二重の紋付はもったいないように思えるが、着てくれる主人のない黒紋付にとっては本望ではなかろうか。

 黒紋付の処分方法をあれこれと並べてしまったが、本当は家のシンボルとして残していただきたいのが本音である。日本男児の黒紋付羽織袴姿は、是非とも残していただきたい日本の文化である。もう一度箪笥を開いて、黒紋付が出て来たならば考えていただきたいのである。

➃ 訪問着・付下げ(晴の絵羽着物)
 箪笥の中に必ず入っているのが訪問着や付下げなど晴れ着の着物である。これらは絵羽物と呼ばれる。絵羽物は、屏風絵のように着物全体で一枚の絵を構成するもので、白生地の段階から裁ち合わせを決めて染めている。その為、身丈は小紋の様に背丈に合わせて裁つのではなく内揚げを調整して仕立てる。

 従って絵羽物の場合は仕立て直すのに身丈が採れるかどうかは心配ない。余程身長の高い人(170cm以上)は問題となるが、普通の人であれば仕立て替えるのに寸法の心配はいらない。仕立替えに心配はいらないが、差し当たって周囲に着物を着る人がいないならばどうしたら良いのだろうか。

 訪問着や付下げは趣味性の高い着物である。他の着物も着る人の好みを大切にするので趣味性は高いと言えるけれども、留袖の場合、
「せっかくお母さんの留袖があるからそれを着てはいかがですか。」
とも言えるけれども、訪問着の場合柄の好みが優先して中々そうは言えない。

 私は、着る人がいないのならば残念だけれども処分するしかないと思っている。誰も着もしない訪問着を後生大事にとって置いても、後に着物を着る人が現れても柄を好んでもらえるかどうかも分からない。ただし処分する前に一度着物を良く知る人(呉服屋等)に見てもらった方が良い。中には処分するのに惜しい着物もある。

 私の店に丸洗いする為に訪問着を持ち込んだお客様がいらした。
「この着物、貰ったのですが、私着られるでしょうか。着られる様だったら洗ってほしいのですが。」
そのお客様は着物を貰ったけれどもどうしたら良いか分からない様子だった。風呂敷を解いて着物を広げて見た。
「えっ、この着物貰ったんですか。」
私は目を疑った。羽田登喜男氏の訪問着だった。訪問着は畳紙にも入れず、丸めて風呂敷に包んであった。

 羽田登喜男氏は人間国宝の友禅作家である。ダイアナ妃に贈られた振袖の作家でも知られている。鴛の柄が特徴的で、一目で氏の作品と分かる。インターネットで古着が安く売られている例もあるが、未仕立の新品であれば数百万の着物だった。本人は全く分からず、ただの訪問着と思っている様子だった。お客様にはその訪問着の説明をして大切に着て頂くように申し上げた。

 その着物を譲られた方も、どのような気持で譲ったのかは分からない。貴重な作品が、場合によっては失われてしまったかもしれない。着物は投機の対象とはならず、如何に貴重な着物でも売買する値打ちはないと考えた方が良い。しかし、着物を知る者にとって貴重な作品はどこまで行っても貴重な作品である。

 箪笥の中の訪問着や付下げは、処分する前に一度吟味していただきたいのである。

➄ 紬・普段着
 箪笥の中からは意外と多くの普段着が出て来る。普段着と言うのは、紬、ウール、綿などである。昔の人は普段よく着物を着ていた。昔と言っても昭和40年頃までだろうか。当時、街を歩く人の何人かは着物姿だった。今、着物を着て歩いている人は、式服を除けば、お茶や踊りなど習い事をしている人や、夜の飲食店の女将さんなど極限られた人で、本当の意味で普段着として着物を着ている人は少ない。

 箪笥に入っている普段着は、今と違って毎日のように着ていた形跡もあり、擦り切れたり、そじている物も多い。ウールは虫に食われやすい事もあり、穴が開いたものもある。

 昔の人は今よりも体格が小さく寸法も小さいので、そのまま着られないものがほとんどである。昔の反物は幅が狭く、解いて仕立て替えしようとしてもできない場合が多い。尤も仕立替えにも金が掛かるのでウールや綿の着物を仕立て替えしようとすれば、新調したのとあまり変わらなくなってしまう。

 そんなこんな事情で、普段着については、ほとんどが廃棄処分の対象になると思う。親の着物を捨てるのに躊躇していっぱいになった箪笥も見かけるけれども、箪笥はきれいに整理して、少なくても何の着物が入っているのか把握できるぐらいで良いと思う。着る人がいないケースを考えれば猶更である。

 さて、紬についてはどうだろう。紬と一言で言っても、安価な汎用の紬から高級な紬まである。着物の事を少しでも知っている人であれば、結城紬や大島紬と言えば高級なものと知っている。安い汎用の紬であれば、ウールや綿と同じように着古されたものが多く、仕立替えには適さない。しかし、結城紬や大島紬、上布などが出て来た時にはどうしたら良いだろうか。着物を着る人がいないケースを考えれば誰も引き取り手はいないのだけれども、さりとて捨ててしまうのも惜しい気がする。

 そのような高級な紬が出て来た時には、まず吟味する必要がある。誰かに「それは大島紬ですよ」と言われても、大島紬にも色々な種類がある。昔は横総の大島紬が普段着として織られていた。横総と言うのは横糸だけで絣を織り出したもので、タテヨコ絣よりも遥かに安価にできる。それでも本場大島紬には変わりない。そういう意味で、その結城紬や大島紬がどれほどの物かを検証する必要がある。もしも、その紬が価値あるものだとしたらどうすればよいだろう。
「着てくれる人がいないので、価値ある物ならば古着屋に。」
と言う考えもあるかもしれないが、いくら価値のある紬でも古着屋では二束三文でしか買ってはくれない。いくらかでも足しになれば良いとは言え、それではせっかくの紬がかわいそうな気がする。

 どの位価値のある物なのか、その人の判断にもよるけれども、本当に価値ある紬であれば一枚くらい箪笥に残しておくのも良いのではないだろうか。

【総括】
私の経験を基に箪笥の整理、着物の処分法について書いてきました。どのように受け取っていただけたでしょうか。

 全く鵜呑みにしていただけると思っては居りません。それぞれの箪笥を開く前に、それぞれが置かれた立場、環境が異なり、それによって自ずから対応は変わってくるからです。

 着物を着てくれる身内は居るのか、幾枚かを残しておこうとしても保存にもお金が掛かる、まして仕立替えともなると洋服と比べれば多大の出費を迫られるけれども、それを受け入れられるのか。また、住居の環境によっては、箪笥自体を処分してしまいたい、いや処分せざるを得ないと言う人もいると思う。

 親や自分の大切な着物をわずかでも残しておきたいと思っても、若い人に、
「なんでそんな着ない物をとって置かなくてはならないの。捨ててしまったらよいのに。」
の一言で、思い出の詰まった着物を残そうと言う気持ちが消し飛んでしまう人もいるかもしれない。

 最終的には、本人の着物に対する思いと自分が置かれた環境によって自分で判断するしかないように思う。ただしその場合、着物を肯定的に見るのか、それとも否定的に見るのかが判断の大きな分かれ道になる。

 今回書いてきた着物の処分法は、私すなわち着物に肯定的な見方をしている人の判断である。そして訴えたいのは、肯定でも否定でもない人達、着物の事がよく分からない人達に着物に対する考え方を一考していただきたい思いである。

 例えば男の黒紋付。残しておいても誰も着る人はいないかもしれない。しかし、日本人にとって男性の黒紋付とは何なのか、そこに含まれている日本の文化をもう一度考えていただきたいのである。

 箪笥の中に父親が来ていた紋付一式が仕舞われている。それは着なければ何の意味もないかもしれない。しかし、無用の用と言う言葉がある様に、私はそれが何の役にも立たないとは思えない。幼い息子に箪笥から紋付を取り出して、
「これは御祖父ちゃんが着ていた紋付だよ。」
と見せたらどうだろう。
「紋付ってなあに。これどうするの。」
と幼い子には何も理解できないかもしれない。しかし、その子の心の内には「黒紋付」と言う言葉とその印象が刻み込まれているはずです。黒留袖や訪問着も同じで日本の文化を後世に伝えることができると思うし、その中から自分も着物を着て見たいと思う人も出てくるに違いない。

 着物は日本の文化であり残して行きたいもの、と言う意識が芽生えればよいと思うし、箪笥を整理するにあたっては、そう言った立場で考えていただきたいのである。そういう立場で箪笥を整理していただきたいと思うのだが、一方でそう言わざるを得ない事に寂しさを感じている。

 本当は、
「着物は何回でも仕立替えして着ていただけます。先代や先々代の着物でも生地さえしっかりしていれば何時でも仕立替え致しますので、孫末代まで大切に着てください。」
とは言えない時代になったのだとつくづく感じさせられる。

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