明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの春秋終論

Ⅳ きものを取り巻く問題 ⅱ呉服店の後継者

きもの春秋終論

 いわゆる家業店の後継者についてはよく取りざたされる。呉服店だけでなく商店街の小売店の後継者問題は深刻なようだ。

 私共の商店街にも「青年会」と言う若い人達の組織がある。商店街の二世経営者で組織して始められたものだが、最近メンバーが減っている。昔は小売店の息子達が十人以上いたけれども、最近は五人位である。それでは会が成り立たないということで、サラリーマン会員を募っている。それでも足りないというので、昔は40歳だった定年を45歳まで引き上げて会員の確保に走っている。

 視察に訪れる他県の商店街の人達からも
「後継者問題はどのように考えていますか。」
と言った類の質問が寄せられる。

 商店街や街工場の後継者問題は取りざたされるが、私はそれらはそれ程問題ではないと思っている。零細業者(私もだけれど)は、会社は自分の物と思っている。また、直系が継がなければならないものとも思っている。商店街では自分の店が是非とも必要だとも思い込んでいる。

 しかし、小さい会社であろうとも、会社は公器であり、会社が健全であれば後継者は自ずから現れるものである。県外の視察者から質問を受けた時、私は次のように答えた。

「後継者問題というのはありません。商店街が健全で活気があれば、閉店する店があってもそこで誰かが商売を始めてくれるものです。問題は後継者ではなく、いかに商店街に活気を戻すかと言う事です。後継ぎの後継者がいたとしても、活気のない商店街であれば後を継ごうとは思わないでしょう。そんな商店街で後を継げと言われるのは酷な話です。」

 後継者問題といわれるものの多くは、その人自身の問題である。

「代々続いてきた商売を自分の代で途絶えさせたくない。」
と言う気持ちの現れなのだろう。

 さて、私が問題にしている「呉服店の後継者問題」と言うのは、上記のような問題ではない。呉服屋といえども他の小売店と何も変ることはない。老舗の呉服屋が自分の代で店を閉めることに抵抗があるのも良くわかる。

 しかし、それは時代の波であり、業界が急速に萎んでゆく中で、全ての呉服屋が息子に後を継がせること等出来ないことは容易に分かることである。

 では、呉服屋の後継者の何が問題なのか。

 私には息子が二人いる。二人とももう就職している。呉服業界とは全く違う業界である。二人とも自分で考え自分で選んだ道である。私は息子達に自分の職業を押し付ける気もないし、自分の生き方を押し付ける気もない。息子の人生は息子のものなのだから。

 しかし、斯く言う私も「息子が継いでくれたら」と思うこともある。それは「呉服業を」と言うような具体的な願望ではなく、
「店を継ぐために戻ってきてくれたら自分も女房もらくになるのにな。」
という、打算的な願望である。

 多くの家業店のオヤジは、少なからずそう思うことがあると思う。まして、活気のある商売、儲かっているお店であれば尚更の事。息子と一緒に仕事をして暮らしたいと思うのも人情である。

 しかし、私は息子に呉服屋を継いでもらいたいとは思っていない。それは、呉服業界は急速に萎み、この先どうなるのか分からない。呉服屋は儲からないから。呉服屋は大変だから。そう言った理由からではない。

 確かに呉服業界はこの先どうなるか分からない。商品の事、仕立の事、売上の事等々考えれば夜も眠れなくなる業界である。そういう意味では、そのような業界は他にも沢山あるだろう。いろんな人に聞いても、
「うちの業界は本当に大変ですよ。この先やってゆけるかどうかわかりません。」
そういった声が聞こえる。

 山形の河北町はスリッパの産地である。かつてはメーカーが20社ほどあり、日本のスリッパの需要の大半を占めていたという。しかし、その数は次第に減り、現在は5社が残るのみである。

 原因は中国から安い、所謂「すそもの」のスリッパが大量に入り、「すそもの」を作るメーカーは次々と姿を消していった。

 中国の脅威というのも各業界を悩ませている一因である。しかし、河北町の残ったメーカーは、様々な工夫をして付加価値の高い商品を創って生き残っている。私の店でも頼まれて商品を置いているが、それを見たお客様は、中国製とは比べ物にならない創りの良さ、履き心地に惚れて、少々高価なスリッパでも買ってゆく。

 どんな業界でもいつまでも安泰とは思っていないだろう。常に創意工夫をしながら企業は生き残ってゆくものである。

 呉服業界も大変苦しい状態にはあるけれども、座して死を待つばかりではなく創意工夫をしながら商いをする方法もあるだろう。また、同じ死を待つにしても美しい死に方を模索することも出来る。私はどちらかと言えば後者かもしれない。

 日本の伝統文化である着物をぎりぎりまで守り人に伝えること。それを心情として呉服屋を続けることに充分に意義を感じている。

 しかしながら、現在のこの業界のあり方は、別の意味で将来に希望が持てない。

 どんな業界であれ、いくら苦しい業界であっても模範的な店(あるいはメーカー)が存在する。活気があり、商売も巧く行っている(儲かっている)。今こんなご時勢で、何故あんなに繁盛するのか、と思えるような店である。

 もしも、自分の息子に跡を継がせるのであれば、
「がんばって、あの店のようになりなさい。」
「あの店に負けないような商売をして欲しい」、
そんな店の存在が希望を持たせてくれる。

 そういった店(メーカー)は、消費者の支持を得て商品が売れる。日本中また世界中の人達が喜んでくれる商品を創る。商品管理が行き届いていて、故障車が少ない。他のどの店よりも安くて美味しい。等々、いわば消費者の為の商品を創り、商いが世の為になっている企業である。そんな企業には利益が後で付いてくる。まさに商売の手本である。

 しかし、そういう店は呉服業界には見当たらない。沢山売っている店、利益を揚げている店はある。しかし、もしも息子が呉服屋を継ぐとすれば、
「あのような店になりなさい」
「あの店を手本にがんばりなさい」
という店は見当たらない。むしろ、沢山売っている店、儲かっている店に限って、
「あんなことはしてはいけないよ」
「あういう商法は商いの風上にもおけないよ」、
と諭さなければ成らない店ばかりである。

 それは私と他の店との商売に対する考え方の違いかもしれない。「商売は儲けること」と割り切れば、「儲ける為には何をやっても良い」ということになるのだろう。

 業界で現在行われている商法については既に述べた。業界全体のあり方が、「儲ければ良し」の風潮になってしまっている。そんな業界に息子を飛び込ませることに私は抵抗を感じている。

着物のことならなんでもお問い合わせください。

line

TEL.023-623-0466

営業時間/10:00~19:00 定休日/第2、第4木曜日

メールでのお問い合わせはこちら