全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-ⅷ 呉服屋がなくなる時
「呉服屋がなくなる時」と言う表題は、呉服業を生業とする私にとって嫌悪すべき問題である。しかし、それを近未来の現実として受け止めなければならないところまで来ているように思われる。
「呉服屋がなくなる」と言っても、きもの、呉服、呉服屋、着物を着る人がこの世から全てなくなってしまう、と言うのは考え難い。しかし、細々と続いていても、「あの業界は死んだ」と言われる業界が多い様に、呉服業界が死を宣告される日も近いかもしれない。
呉服業界は確実に萎んでいる。30年前には二兆円と言われた市場規模も二千億円を切ったらしい、とも言われている。織屋染屋も倒産、廃業が続き、問屋の数も減っている。業界は確実に0に収束しているようにも思える。全く0にはならないにしても、その刹那に何が起こるのか、業界に残っている人達はどのような心情なのだろうか。
今日に限らず、一軒の呉服屋が姿を消すというのは珍しくはない。しかし、個々の呉服屋が姿を消すのは倒産、廃業と言われるもので、経営の不振や後継者難によるものである。
どんな業種でも放漫経営による倒産はあるし、不況業種であれば努力の甲斐なく倒産と言う場合もあろう。しかし、このようなケースは、今回の考察には含めない。呉服儀容会の行く末を、産業としてではなく日本の伝統文化を担う生業として捉えてみたい。
まず最初に考えられるのは、需要の減少による呉服屋の消滅である。
着物を着る人は日に日に減少している。「きものブーム」などと言われることもあるが、日常着物で生活する人は日本の全人口から言えば皆無とも言えるレベルである。
それでも着物を着るべき時に着物を着る人はまだいる。慶弔時やお茶をする人など、普段洋服を着ていても結婚式や葬儀、お茶会で着物を着る人は見かけられる。しかし、それらの人も減少している。結婚式で着物を着る人は少なくなった。入学式や卒業式でも父兄の着物姿は少ない。
葬式となれば更に少なくなったように思える。葬式で女性は喪服(黒の紋付)を着るのだけれども、最近は親族以外の人が喪服を着ていると奇異な目で見られることがあるという。「親族でもないのに喪服なんて」と言う目があるらしい。親族でも喪服を着る人は少なく黒のスーツが目立つ。
お茶をする人の人口も減っているらしい。特に若い人の入門が減っているという。お茶は習い事である。いわば修行であり厳しさも伴う、そう言ったことを若い人たちが嫌がり、また着物を着る事に嫌悪感を感じる若い人もいるという。
若い人の中にはおしゃれで着物を着る人もいるにはいるが、必然的に着物を着る人達は確実に減少している。
私の店の目線で見ても着物の需要は激減している
つづく