全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-22 絹の動向(その2)
まず、日本の呉服の市場はどのような状況なのだろうか。先に西陣の例を挙げたけれども、昭和50年から西陣の着物地が98.1%減と言うのは、最も減少率が高い物の一つだろう。中には100%減、即ち姿を消した織物や染物もあるはずなので、最悪とは言えないまでも最悪に近いアイテムの一つであることは間違いない。
染物の素材になる縮緬についてはどうだろうか。上記の西陣の統計に合わせて昭和50年と平成26年を比べてみると、丹後織物工業組合の資料によれば、丹後における縮緬の生産反数は次の様である。
昭和50年 7,337,443反
平成26年 400,192反
率にして5.5%、94.5%の減少である。因みに、平成29年は更に減少して294.451反。昭和50年に比べると4.05%、95.95%の減少である。
私が京都にいたのは、昭和50年代後半。当時の呉服産業は、既に斜陽に差し掛かっていたが、それでも白生地の生産反数は今よりも10倍以上あったはずである。一度丹後の白生地屋に見学に行ったことがある。社長の自宅に招かれると、広い庭がある邸宅だった。その昔、昭和20年代後半に起こった「ガチャ万景気」を彷彿とさせるものだった。
白生地や織物の生産が減っている背景には需要の減少がある。昭和50年代には2兆円と言われた呉服市場は現在3,000億円を切っている。それでもまだ7分の1である。需要の減少以上に白生地の生産反数は減っている。そこには、海外からの呉服素材の輸入が絡んでいる。
呉服の素材、製品に外国製が参入してきたのは何時頃からだろうか。その引き金となったのは、中国の改革開放であるように思われる。
中国の改革開放は昭和55年頃。丁度私が京都にいた時分、中国をはじめ海外から呉服の流入が始まっていた。
中国刺繍の帯、「香港」「韓国」「マレーシア」等の印が押してある白生地。韓国の綴、中国で織られた帯等々。海外、特に東アジアの諸国と日本の経済格差、賃金格差を利用して安価な、または利幅の採れる海外の商品が日本の呉服業界に浸透し始めていた。
「海外の製品」と言っても、その位置づけが難しい。何をもって日本製とするのか、〇〇国製とするのか、実は簡単ではない。
どこの製品かを決定する定義として通商産業省(かつての)では、「製品を作る最終工程がその産地を決定する。」というのがあった。(今はどうか分からない)
つまり、機械製品(パソコン等)では最終組み立てを行った国が原産国となる。部品がどこの国の物であっても最終的に組み立てて出荷する国が原産国と表示される。
アメリカのインテル社のCPUが入っていても、部品が中国製であっても日本で組み立てれば日本製である。イギリス、ロールスロイス社のエンジンを搭載していても旅客機YS-11は日本製である。
さて、きものの場合はどうなのか。
着物制作の最終工程は仕立てである。通産省の定義に従えば、どこの国で染められた物、織られた物を使っていても仕立てが日本で行われれば日本製と言う事になる。しかし、これは一般に通用しそうもない。ことさら反物を卸し小売する場面では通用しない。
しかし、通産省の定義を度返ししても、実は白生地がどこで作られたものなのかを判定するのは複雑で難しいのである。
つづく