明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題

Ⅶ.きものつれづれ 43.これからの呉服屋に求められるもの(その3)

ゆうきくんの言いたい放題

 消費者の高級嗜好に応える為、昭和30年代(だろうと思う)に呉服屋で始めたのが「展示会」である。会期を限って、商品を一堂に集めて展示会を催す。消費者は、より多くの商品の中から着物を選ぶために来場する。

 当時、小売店は商品を買い取り在庫を持つのが普通だった。しかし、いくら在庫を持っていると言っても展示会をする程の在庫は持ち合わせていない。取引先の問屋から商品を応援してもらって展示会を開いていた。

 私は昭和31年の生まれ。小学生の頃、展示会の手伝いをしていた。何人もの問屋さんがやって来て、沢山の荷物が運び込まれる。会場は、当初お店でやっていたが手狭だったのだろう。後に会場を借りていたが、ホテルや料亭と言った高級な場所ではなく、〇〇会館の一室といった素朴な会場だった。

 小学生だった私は、学校帰りに展示会場に行った。入れ代わり立ち代わりお客様が来場し、大忙しだった。接客するのは祖父や祖母、母をはじめ店の従業員。加えてかつて従業員だった人にも手伝ってもらっていた。それに手伝いに来ていた問屋の人達である。

 問屋の人達は4~5人。夜はその会場に寝泊まりしてもらっていた。今の様にセキュリティが完全ではなかったので、高級品の並ぶ会場を見張る役目だった。当時、泥棒のターゲットは、まだまだ着物にも向けられていたのだろう。現在は着物を盗む、と言った泥棒はいないだろうけれども。

 寝泊まりする問屋の人達には、父がビールとつまみ、マージャンを差し入れていたと言う。せめてものほほえましい当時の事情がうかがえる。

 そういった「展示会」の開催も自然の成り行きだったと思う。しかし、その「展示会」も徐々に変化していった。

 いつの頃からか、案内状にタクシー券が入るようになった。印刷された紙に「〇〇会館行、××タクシー」と書いてあった。何の色気もない紙だったが、それに結城屋のハンコが押されている。そのハンコを押す仕事をさせられた記憶がある。

 その当時は、まだ車に乗ること自体子供にとっては珍しく、今で言えば航空券が同封されている感覚だった。使用された分だけタクシー会社に代金を支払うのだけれど、子供にとっては「無料タクシー券」のように思われて、
「これでタクシーで家に帰りたい。」(店と自宅は離れていた)
と言って怒られたのを覚えている。このタクシー券は、お客様への接待の始まりだったかもしれない。
 その後、「よその呉服屋では昼の弁当を出してるらしい」と言う話があり、私の店でも手土産などを用意するようになった。
 それまでの単にモノ(呉服)を売る商売から少し踏み出した商売に変わって行った。それでも呉服を売ることを本業にしていたのは変わらない。タクシー券や手土産で客を集めようと言うのではなく、「より来場しやすいように」「本の心遣い」の域を出てはいなかったように思う。

 当時(昭和30年代~40年代初頭)呉服屋に求められていたものは、良い呉服を安く提供し、呉服に関する相談を受ける、と言った商売としてごく当たり前の物であったことは否めない。

                                     つづく

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