明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題

Ⅶ.きものつれづれ 43.これからの呉服屋に求められるもの(その5)

ゆうきくんの言いたい放題

 私は、「訪問販売」と言う言葉を知らなかった。知らないわけできなかったが、呉服が訪問販売で売られていることを知らなかった。私の頭の中には、祖父が店に座っている呉服屋。お客さんが店にやってくる姿しか想像できなかった。

 呉服屋の中には「かつぎ屋」と呼ばれる店がある。店といっても店舗があるわけではなく、自宅の一室に呉服が並べてある。店主が商品を持って(かついで)お客様の家を訪問して商いをする。「かつぐ」と言っても車の普及した時代なので車に商品を載せて回っていた。

 また、店舗があっても商売の中心は訪問販売の店が多い。番頭さんを複数雇っている店では、その番頭さんたちはほとんど店では出会わない。皆、得意さんの家を訪問してまわっていた。

 ほとんどの呉服屋が多かれ少なかれ訪問販売に頼っていたのだが、私の頭では理解できなかった。私が上司と得意先を車で回っているときに、車の話になりその上司に聞かれた。

「結城君、お父さんはどんな車乗ってるの。」

私は即座に答えた。
「家に車はありません。父は免許を持っていません。」

上司は驚いて、
「えっ、車ないの。どうやって商売してるの。」

 既に車は一家に一台の時代であった。商売云々を除いても、車を持っていない家というのはそれだけで驚かれてしまった。そして、結城屋が訪問販売をしていないことに驚いていた。

 私が業界に入って更に驚かされたのは、その販売方法である。その当時私が勤めていた問屋の一番の得意先(取引額一位)は大阪の某呉服店だった。その店は、呉服店というには、私のイメージとは余りにもかけ離れていた。

 店舗は持たず数か所の拠点事務所を持っていた。それぞれの事務所は、「〇〇呉服店」と別々の店名が付けられていた。販売員は車で得意先や新規のお客さんを回って勧誘していた。販売は、時折行われる展示会で行われていた。

 その呉服屋向けの反物が度々大量に持ち込まれていた。商品を受け入れる部屋には、染屋さんが持ち込んだ反物が積まれていた。同じ柄の小紋が一山(2~3十反)積んである。その反物の端には、その呉服店の名前が染めてあった。

「同じ小紋をこんなに沢山買い取るんですか。」

私は先輩社員に聞いた。

「いや、買うんじゃないよ、浮き貸しだよ。」

浮き貸しとは、商品を貸して売れた分だけ仕入れる仕組みである。しかし、その呉服店の名前が入れてある反物を返されたら染屋はどうするのだろう、と素朴な疑問が湧く。

「どうせ大体は売るんだ。帰ってくるのは数反だよ。」

別に驚くことではない、と言う表情でそう話す先輩の言葉を聞いて驚いてしまった。同じ柄の反物をこれだけ多く売ると言うのは、いったいどれだけ多くの消費者を相手に、どんな方法で売っているのだろう。

しかし、更に驚くことが先輩の口から出て来た。

つづく

来週1月5日は休ませていただきます。

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