全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-76 成人式・・帯が可哀そう(その2)
ゆうきくんの言いたい放題
西陣で手織りの帯を織る現場を何度も見たことがあった。手織りの職人さん達とも話したことがある。横糸を杼で一本一本通しながら筬を引く。横糸の通し方一つで帯の風合い、帯の顔が変るんだと言っていた。彼らが手塩に掛けて織った帯は、やはりぞんざいには扱えない。
帯は必ずしも手織りとは限らないが、機械織であっても、昔は紋紙を手で打って作っていたし、整経の作業などいくつもの工程を経て織り上がる帯である。糸を機械に入れれば、次々と帯が織り上がる、と言った単純なものではない。機械織とて職人の技によって織られていることに変わりはない。
帯が織られてから消費者が締めるまでの過程は次の様になる。
織屋 → 問屋 → 小売屋 → 消費者 → 着付屋
問屋は織屋の苦労を知っている。心ある小売屋であればどうやって帯が織られているのかを知っている。消費者は、帯を大切に扱わなければならない事は小売屋から聞かされる。帯がどのようにして織られているかを知っている着付屋もいるはずである。
この過程のどこかで織屋の苦労は次第に届かなくなっているのだろうか。それとも、いくら高い帯であれ、消費者が購入した帯は消費者の判断、着付屋の指導の下、どのように扱おうが消費者の自由であると言う事なのだろうか。それは道理であるが、きつく縛られてシワしわになる帯を見ると、私は織屋に対して申し訳なく、帯が可哀そうにと思ってしまう。