明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題

Ⅶ-77 寿司屋と呉服屋

ゆうきくんの言いたい放題

「寿司屋と呉服屋」の表題で書こうと思っていた矢先、寿司屋に関するニュースが全国を駆け巡った。大手回転寿司チェーンでの度重なる若者の狼藉である。既にご存知の事と思うので内容には触れないが、これから書こうとするブログを理解して頂くには「寿司屋」「回転寿司」を理解してもらう良い機会なので、まず回転寿司について書く。

「回転寿司」は何時ごろからあったのか正確には知らないが、山形に登場したのは私が中学の時、55年位前だったと思う。全国的にはもっと早くできたのだろう。元禄寿司と言う寿司屋だった。「廻る元禄寿司」の名で宣伝していたが、当時私は行った事が無かった。寿司を食べること自体高根の花だった。小学校自分に「寿司を食べる」と言えば、デパートの食堂で「かっぱ巻き」「鉄火巻き」がせいぜいだった。

 学生時代4年間で何度か回転寿司に言った事がある。アルバイトをして金回りの良い友人に連れられて寿司を食べに行った。友人は何度も食べているのだろう。慣れた手つきで皿を取る。それでも所詮学生である。使える金は限られている。その彼に習った回転寿司での食べ方である。

 寿司は安い物を取る。または量の多い物選ぶ。そして、置いてあるガリを大量に食べ、お茶をたくさん飲む。そうすれば腹が膨れ、寿司をたべた気分になれる。実際に食べて見ると、成る程安く(当時500円程度だったと思う)上がる。

 それは良い方法だと、その後何度か同じ回転寿司に行った。しかし、敵はさるものである。主食とも言えるガリに大根が混ぜてあった。まさか我々の食べ方を見て大根を混ぜた訳でもなかろうし、私を狙って大根を混ぜた訳でもないだろう。その店は回転寿司の中でも安い店だったので、私のような貧乏学生が群がっていたのだろう。

 当時の回転寿司は大変流行っていた。回転寿司が流行っているのは今も同じだけれども、雰囲気が違っていた。今は郊外の広い店で静かな雰囲気である。しかし、当時は商店街の中に有ったので、狭い店内に客はぎゅうぎゅう詰めである。そして、寿司のレーンには隙間なく寿司の載った皿が廻っていた。

 何時の頃からか回転寿司でも注文を聞くようになったが、当時は回転している寿司しか食べられなかった。客も多かったので(商品の)回転が良く、少し待っていれば食べたい寿司が廻って来た。当時は回転する寿司を目で味わいながら意中の寿司を取るのが楽しかったように思う。

 私が京都にいた時分、何度も足を運んだ寿司屋があった。寮の先輩が、「安い寿司屋があるから行こうや。」と誘ってくれたのが始まりで、それから度々行く事があった。その寿司屋は確かに安かった。私も少しながら給料を貰う身分になって、学生時代とは少し上のレベルの寿司屋だった。

                                                   つづく

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