全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-77 寿司屋と呉服屋(その3)
寿司屋業界と呉服業界を比べて見よう。よくよく見ると次の様な類似点がある。
➀ どちらも日本の伝統的産物である。
衣類と食べ物とを比べるのは無理があるかもしれないが、どちらも日本の伝統であり、他国にはない物である。どちらも外国には「SUSHI」「KIMONO」と、そのまま紹介され通じる。「FUZIYAMA」「GEISHA」と並んで来日する外国人の関心の一つである。
来日した外国人が最も食べたいと思うのは、先日までは「SUSHI」だった。「先日まで」と言うのは、先頃、一位の座は「RARMEN」に奪われたと言う話だった。
「KIMONO」は、外国人が本質を理解するのは難しいが、その関心の高さはうかがい知れる。浅草に行けば、「KIMONO」(ゆかた?)を着る外国人でいっぱいだ。着物姿の人がいれば外国人は写真を構える。以前書いたけれども、京都であった祝い事に三歳の息子に紋付袴を着せて出席したところ、ホテルのロビーで外国人に囲まれて「写真を撮って良いか」と言われ、女房と三人しばらくレッドカーペットにいるようだった。
外国人の関心云々に関わらず、寿司もきものも日本の伝統的産物であることは間違いない。
➁ どちらも日本人のあこがれである。
「あこがれ」と書いたのは、適切かどうか分からないが、日本人自身どちらも大好きである。
寿司はご存知の通り、ほとんどの日本人は食べたがる。「寿司でも食べに行こう」と言う言葉は、誰をも「にこり」とさせる言葉である。「寿司など毎日でも食べたい。しかし、財布がついて行かない。」と言う人が本音だろう。
一方、呉服は事情を若干異にするかもしれないが、日本人にとって憧れである。成人式を見ればしかりである。女性はもちろん、男性も紋付袴姿の成人も多い。
「きものを着るのは大変だ。」と言う意識があるのは間違いないが、一方で「きものを着たい。」と言う意識も日本人の根底にある。
➂ どちらも高度な職人仕事によって創られる。
呉服は高度な熟練職人によって創られているのは知られているところである。手描きの友禅や西陣の織物をはじめとして組紐や足袋に至るまで、日本人の器用な職人仕事の賜物である。
さらに、呉服の製造だけではなく仕立、またメンテナンスにおいても熟練の力が必要である。きものは仕立てて終わりではなく、その後の補修その他にも知識と技術が必要である。古い着物をどのように補修、または仕立て替えるのか。呉服屋自身も経験と知識が必要である。
寿司職人も高度な熟練技術を持っている。
「寿司は握る事で旨味が出る。」と聞いたことがある。スーパーで買う寿司と寿司屋の寿司ではその差が歴然である。また、熟練の寿司職人が手にしたシャリは、米粒の数はほぼ一定と言う話も聞いた。職人には材料の目利きも必要である。
寿司職人もまた、長い経験と技術がその味を支えている。
つづく